one day I remember

今思うこと、ある日いつか思い出す、その日のために

良さを模索

いやー、びっくりするぐらい、自分の気持ちがあっさりしていることに気づいた今日。 もっとラルクラルクなるかと思いきや、今、現在フェスいきてー症候群です。あれ? 6月1日にでたUVERのアルバムもすばらしいですしね。 気持ちはぐんぐん次に向かっております。 ただの天邪鬼なんです。 みんなが「ラルク万歳!」のときに万歳したくなくて、きっと今年の終わりぐらいに万歳してると思う。 っていうのも、あれが20年の集大成ではないなと思う自分がいるんですよね。 あ、まだこれ「序の口」なんだってツアーの発表があった瞬間思いました。 どうしたって3年前と比較する意地悪な心が働いてね…。 今回のライブは何をどうしたって否応なしに感動するってわかってるじゃん。 そこに心を持ってかれて冷静にライブなんて見れようもないよなぁって。 それに、昔の曲やったり破天荒に恵まれたりしてその特別感がまたフィルターをかけるわけです。 そういった諸々の環境におかれているライブってちょっとずるいなって。 「完成度」を考えると、もっと、もっと飲み込まれるようなそれを期待してしまう。 3年前や5年前ってこんなもんじゃなかったぞ、と。 まったくもって面倒くさい女です。単に私が変わっただけのことかもしれません。 ツアーもですね、中日にいきたいです。初日とか最終日じゃなくて、中日。 いちばんライブそのものを色眼鏡なく見れる気がするんです。だから名古屋2day狙っております。 どっぷりつかって周りが見えなくなってしまうのはいやだから、 だからこそ、いろんなものを見たいという欲求が高まったのかもしれない。 ラルクを語るときにラルクだけ見てたら何も伝わらん!と頭が必死にわめくんです。 ただ、闇雲にきれいだのかっこいいだのいってたってその主観はつたわらない。 ただの主観で終わらせたくないすばらしさがあるからこそ私は必死になる。 何が、どう、周りと違って特別なのか。それはファンの思い込みか広範囲に影響を及ぼせるものか。 意外性や見た目だけにとらわれないしっかりとした大人の人間としての魅力があるラルクを ちゃんと、ちゃんと伝えていきたい。すごく難しいことだけど。 とりあえず、フェス系の人にでもつたわるラルクのよさを模索中です。 こう、ラルクでもっとオールディーズな渋い曲やるとか、輪になって走り回れる曲とかあったら 多少食いつきよさそうだけどねー。 吉井さんとハイドの違いはどこにあるんやろー。 吉井さんはああなれて、ハイドがなれん理由は何やろう。 むーん。あかん、知恵熱出るわ…。