one day I remember

今思うこと、ある日いつか思い出す、その日のために

「哀しみはきっと」

  写メ記に書きましたが、舞台「蛮幽鬼」を見てまいりました。やっとこさ! 東京での無念をS席という良席で晴らしてまいりました。 ただ、こんなときにこんなの見に行って私余計ドロドロしないかって、見て気分が重くなるのは とかく避けたいぐらいポスターはドロドロ感満載で。不安もあったのですが、 コールアンドレスポンスとかアドリブ等々、思いのほかコミカルな面もあり (コミカルな面は新感線のメンバーの方が担ってる感じ)、 歌舞伎っぽいノリもありで、思いのほか初っ端の早乙女太一の舞に酔いしれ、 あれ明希ちゃんでもいける、かわいい、ってあほなことを考えたりもしました。雑念いっぱい。 お目当ての堺さんは、文句なし、おいしいところ満載の笑顔の暗殺者役でした。 あの人気味悪いぐらい終始笑顔。王君が殺されるときも「その笑顔やめてくんない?」って いわれてたけど、なるほど、まぁ、あの笑顔とあまりにスマートな夜の襲撃、その立ち振る舞いを みてますとですね、「この美しい人にいっそ殺されてみてもいいんじゃないか」って一瞬阿呆な 思いに惑わされそうにもなるんだわ。 あの声は卑怯だな!ずるーい。 あ、でも殺陣に関しては、早乙女太一の動きがやっぱり華がございました。うっとり。 パンフは買うまいと、思ってたのですがやっぱり顔と名前を合致させたくて休憩中に買いました。 お話自体は、何の予習がなくてもさらっと理解できるものです。 「巌窟王」を知っていた私にとってはそれはもう手に取るように。 好きだなぁやっぱりこのお話。復讐劇がすきというより、策をねって成し得ていく話が好き。 原作とか映画とかみてませんけどねまったく。アニメなんですけど。 あ、そういえばあのアニメの監督してた人はみたのかしら。 さて、今日(昨日)はなんだかわりとほんのり幸せでした。 目に見えるもの、耳に届くもの、あらゆるものが私を養ってくれてるのだと思うと 新米の炊き立てのご飯が一粒一粒たってきらめくように すべてがきらめいていたように感じられた日でした。 それは先のあの出来事、「死」がもたらしたものだなんて安直なことは 普段はいいたくないのですが、人の命の輝きがもたらすものをないがしろにもできないわけで。 彼が残したものに、彼の最期の命の輝きが今日降り注ぐようにちりばめられていった。 あれもこれも私に思い出を与え色を添えてくれた。 それに包まれて、私は今日自分が好きになったものに 本当に会えてよかったという思いと感謝でいっぱいになりながら家路につきました。 そんな曲たちの中で特に響いたのがラルクの「TIME SLIP」 まぁ、たくさんのブログでこの曲の歌詞の一部がメッセージとして書かれてましたね。 今日も明日へ向かおう 明日という日が必ずしも当然おとずれるのではないのだと気づかされ、今を貴重に感じるのは 不謹慎にもこんなときぐらいしかない。 今を、一瞬一瞬を大事に生きていこう、ってみんなよくいうけどそれってつまりはどういうこと?と 私は首を傾げたくなることがあるのですが、その答えはここにあるような気がした。 「明日をむかえる」のではなく「明日へ向かう」こと。 意思を持って、未来の自分を考えて、とどまらず進むこと。 時は流れるものですが、明日へは自分の足で向かってく。 単純でスロウで平和な曲に、思いのほか深いメッセージが、あのときのハイドさんの 一旦崩れそうになりつつも保とうとした意志の強靭さが伺えます。 共に歩んでいきましょう。それから2年後笑顔で。 「哀しみはきっと」薄れゆくもの。でもなくせないもの。 それは他の感情に色を添えるから。