川上洋平さんの声
2年前ぐらい、ストレイテナーのホリエさんとの対談で、洋平さんが「ホリエさんのボーカルのうらやましいところはリラックスした声の感じを出せるところ」と言っていた。
ホリエさんもかつてはどちらかというと楽器と一緒になってガツンとこちらにあててくるような声だったが、最近は本当に聴いていて心地の良い歌声が響いている。
これはソロでの経験から「抜き唱法」とういうものを得た故のことだとか。
また、洋平さんはホリエさん自身のことを風のような人といっていた。その人となりは歌声にも表れているように思う。
そこで思ったのは。洋平さんの「声」だ。
そういえばあまり意識していなかった。何故だろう。
理由は簡単だ。声に興味を惹かれて好きになったわけではないからだ。
私が[Alexandros](当時[Champagne])に興味を持ったのは、SSTVで流れた「For Freedom」である。
英語ですらすらとかっこよく歌いあげてる、でもかっこいいだけじゃなくてメロディにグッとくる部分がある。
そこからあっという間に好きになっていった。
本人もインタビューで「自身の強みはメロディメイキングにある」といっているとおり、
私は彼の洋楽かぶれしない日本人にとってなじみやすく、それでいてドラマティックに展開するメロディに心底惚れている。
声や歌詞に引っかかっていては肝心の曲が聞こえてこないことがある。
歌が上手いだけでいいならJ-POPなんてジャンルはいらない。オペラやR&Bだけが音楽のすべてだろう。
歌詞がいいだけで売れるというなら、それこそ歌にのせずに紙面に文字を載せればいい。
心惹かれるメロディが耳に届いて、声や歌詞に寄り添う。それがJ-POPを楽しむ醍醐味だと私は信じている。
が、気になりだすと気になって仕様がなくなるのが「声」である。
メロディにのせて届く「声」は、ひとたびはまれば自分を癒す「薬」にも自分を犯す「毒」にもなる。
洋平さんの「声」は、何にたとえられるだろう。考えてみた。
1stアルバムの曲を聴くと、なんとなく、ぺたぺた、ぺちゃぺちゃした印象を受ける。
アーティストの歌声はしばしば自然にたとえられたりすることが多いが、洋平さんの声は「自然」や生命体といったものは感じられない。実際、洋平さん自身もこのころは自分の歌を楽器の一つぐらいにしか思っていなかったらしい。無機質に聞こえるのも無理もない。
そこでぱっと思いついた。この、ぺちゃっ!と声が叩きつけられて飛んでくる感じは、「ペンキ」だ。
某人気ゲームのようにペンキをあちこちに投げつけて、対象物を自分色に染め上げようとしているのだ。
他と混ざり合おうとすることもなく、ただ自分の色を投げつける。
2ndアルバムも引き続き「ペンキ」のようにぺちゃっと投げつけられ、今度はひたすらそこを塗りたくっているような「声」がする。色が1stのころより濃く、どす黒い。
変化を感じたのが3rdアルバム。ファルセットの導入である。
これにより、投げつけていたペンキの「声」は、柔らかな筆に繊細な色をしみこませ、優雅に紙の上を踊る「水彩絵の具」に変化した。
混ざり合うことを拒否していたものが、周りの楽器の音色、周囲の景色と混ざり合うことを心地よく感じている。ただ強く色をたたきつけていたものが濃淡を覚え、時に強く筆を押し、時に弱く筆を引いて鮮やかなグラデーションを描く。そんな歌声が聞こえる。
4th、そしてメジャー1stと枚数を重ねていくことに「水彩絵の具」による表現はひろがっていく。男性が豪快に大きな筆で火山を描いたかと思えば、今度は女性が澄んだ湖の水面を細い筆で一つ一つ描いている。声にフェミニンさが加わったことで、その筆を持っている人が男にでも女にでも変化しているのだ。
彼の「声」はけして自然物でたとえられるようなものではない。
けれども、その自然を生き生きと描くには十分すぎるほどの色と技量を持ち合わせるまでに至ったのではないだろうか。
洋平さんの「声」はバンドの武器として十分成立している。
そう確信した矢先のこと。
その歌声を「風のよう」と表現したくなるような曲が届いた。
「Feel Like」である。
「声」が「風」となって聴く人の髪、洋服の袖、スカートの裾を揺らしていく。
そんな画が一瞬にして浮かび上がった。(タイアップ先の映像によるものもあるが)
なんて気持ちの良い歌声なんだろう。できれば、夕涼みの時間帯の夏フェスで聞きたいものである。
タイアップ先の楽曲メイキング動画をみると、とてもリラックスして歌っている洋平さんの姿。
2年前、先輩にあって自分にはなかったものを手にしている瞬間だった。
バンドのメンバー全員この曲を「今までにない新しい曲」といっており、
作っている側からもウキウキしているのが伝わってくる。
この曲は11月に発売されるニューアルバム「EXIST!」におそらく入るのであろう。
「Feel Like」以外にも洋平さんの進化した「声」によるこれまでとはちがった世界が広がっていると思うとそわそわする。
アルバム発売が非常に楽しみになる1曲である。
マッサンとハイドサン
といっても、朝ドラはもうすっかり「まれ」なのですが・・・。
VAMPSのツアーがファイナルをむかえたそうで。
私は、彼らがここ最近国内でツアーしてアメリカいって帰ってきてアリーナライブした
ってうすーいあさーい情報しか耳に入れていないのです。
もうVAMPSのライブに行かなくなって、VAMPSを追わなくなって何年になったのか。
hydeさんのやることなすことすべてが好きなんじゃないんだな、と認識したと同時に、私はれっきとしたhydeさんのファンなのだとつくづく思いました、笑。
だって、こだわりがあるんですもの、そこに。
なんでVAMPSを追わなくなったのか。
VAMPSが邦ロックに手を伸ばすのではなく海外に手を広げたから。
端的に言うとそうなんだと思います。
VAMPS2年目の頃がちょうど別れ際だったと思う。
あそこで邦ロック寄りにもう少し軽くなっていったり、オーガニックになっていったり(笑)したら、吉井和哉さんやら雅さんやらムックやらはては奥田民生さんのようなっていたかもしれない。
そうなってほしかったんだよ。日本でもっと受けれられて欲しかった。
ですが、HYDEさんのもともとのソロ活動の原点って洋楽、海外ロックバンドへの憧れですからね。そうはいかなかったよ。
海外の音楽の良さを日本に伝えるため、あるいは自分の音楽を世界で受け入れてもらうために、彼らは海外的な音楽の解放感を求め、どんどんちょい悪方向へと向かっていきましたね。
結果、邦ロック好きからはちょいと昔のロックだなと思わせるような暑さとむさくるしさと黒々とした雰囲気をまとうようになりました。
音としては開放的でも、邦ロック好きには分厚い壁を感じるよね。
で、さっき洗い物しながらふとおもったんですよ。
音楽版「マッサン」だよ。これは。
ハイドサンは本場アメリカのロックに酔いしれこれを日本でも浸透させて「かっこいい」といわせてやるぜー。と意気込む。
マッサンは本場スコットランドのハイランドケルトに酔いしれこれを日本でも浸透させて「うまい」といわせてやるぜー。と意気込む。
一緒や!
だけど日本は昨今ビジュアル面無視、不良というより優等生が息抜きに聞くような流して聴けるかっこよさがあるロックが求められる。ハイドさんのロックは聞き流すにはあくが強すぎて胸焼けする。
日本はまだまだ甘くておいしい日本酒葡萄酒文化。マッサンのめざすウイスキーはやたら煙くさくて飲めたもんじゃない。
一緒や!!!!
こうなってくるともう、私の気分は鴨居の大将ですよ。
ハイドサン!そうじゃないんや!今の日本の邦ロック界でかっこいいとされてる音楽はもっとマイルドでもっとリズミカルでもっと軽くてもっと健康的や・・・!日本でかっこいいって思ってもらうんやったら邦ロック好きの好みに合わせるのが筋やろ・・・!
やー、あほらしいけどすっきりした。
私は邦ロックが大好きです。アレキサンドロスのアルバム楽しみね。
アレキサンドロスのボーカル川上君の音楽のルーツも洋楽だろうけどね!笑。
でも日本で活動して邦ロック好きに受けいれられることで、今どこが「かっこいい」のど真ん中なのかが見つかるってものよ。
日本人にしか作れない繊細なメロディ、日本人にしか気づけない色彩・色調の変化、日本人だからこそ見つけられるニッチなニーズがある。
それを海外で発表して受け入れられた時が海外での成功、だと思う。
ラルクを好きな世界中のファンはまさにそこを好きになってる。
海外のかっこいいものを取り寄せてカスタマイズしてまた海外におくってもそれは二番煎じにしかならないのでは?
まぁ、マッサンは貫き通して成功したね。
日本の邦ロックの「かっこいい」もかわっていくから、受け入れられる日も来るのかな。
移動
FC2がなんだか胡散臭くなっていつなくなってもおかしくなさそうなので
はてなさんに移動してまいりました。
と、いってもブログ自体はここ数年書いておりませんが。
でも、たまに昔の自分の文章よんでるとおかしくてちょっと元気が出ます。
いつでもみれるように。そしてたまに書き込めるように。
ブログ全盛期のころ、サイドバーにあれもこれもはりつけごちゃごちゃしていた
あの時代。サイドバーに己のすべてを詰め込んでいたかのよう。
その時代からくらべるとずいぶんあっさりとしてまるでブログというより
ダイアリーという感じ。うん、嫌いじゃない。というか好き。
そもそも、ブログの前はウェブダイアリーだったんだ。あのアナログ感を愛しておりました。パソコンだけどアナログ。
誰かに呼んでもらうために太文字、色変えと華美装飾した文章をかくのではなく。
一日の作業を終え、ふと訪れた沈黙に、わが身を振り返るためのツール。
それをもういちど取り戻そうと思います。