気持ちの変化
さて、ご覧のとおり(一番上の記事)名古屋にいけなくなったわけですが。
決めたのは自分だ、もうこれ以上文句はいいません。
まぁ、なんだ、受けてみようかなってなったのはshinjiさんの言葉がきっかけだったりするのです。
あの人自身も名言.comからの引用だったみたいですけど。
「現状維持では後退するばかりである。」っていう言葉ね。
What's IN!?のQ&Aでこの答えが出てきたときに非常に身につまされる話で、うわぁ・・・って思いました。
私は現状をよりつきつめていく、今手元にある仕事をしっかりと着実にこなして、それができて
次に進めると思ってるし、正直これ以上何かを課せられるのはまっぴらごめんだと思ってました。
あれもこれも手を広げるのはいやだ。
自分がちゃんとしてないのに人にちゃんとさせることを強要するのはいやだ。
そういう立場になるのはいやだ。
このままで、現状維持で一生懸命やることのどこが悪いんだって思ってた。
実際それに近いことを自己申告書に書いたわ。ぼやきともいう、笑
私はやらしい人間なので、世の中自分よりちゃらんぽらんに仕事して、同じ給料もらって、
贅沢に楽しんでる奴がいるってぇのに自分がどくそまじめに仕事してるのがあほらしいと
ここ最近思うようになってて、そんならまぁ仕事上の嫌なこともいいことも
ほどほどに割り切って受け止めて自分の楽しみに力を注ごうという気持ちでいたんですね。
まぁ、こういう気持ちをもってしまうってことが社会主義が成立しない根本の原因なんですが。
平等にお金を与えたときがんばる奴とがんばらない奴が出てきて、がんばる奴が次第にがんばらない奴に
のみこまれる→仕事が進まない→生産減→収入減、みたいな。
それはおいといて。
とにかくこの3年は「しゃかりきに働いてしゃかりきに遊ぶ」、それだけを胸にやってきたように思います。
で、同じような流れを2年目、3年目とやってきてさぁ4年目ってなったときに
今回のshinjiさんの言葉がぽーんと頭に入ってきたんですね。
で、自分の醜さがあらためて浮き彫りになっちゃったっていうか。
でも、一応そこでも私は批判をするわけで。
現状維持のどこが悪いんじゃい。
shinjiさんだって、所詮は男で自分の上司とかと同じだわ、スキルアップこそが社会人としての喜びだとか
義務だとか思ってんでしょこの野郎。
人間、みんながみんな出世したくてあくせく働いてるわけじゃないやい。
と、醜さがさらにヒートアップ、笑
FCコラムのマオさんの言葉も引っかかってた。
「こんなに苦しんでるのにがんばってるのに何で誰も認めてくれないんだろう。」って悩んでて、
結局はその過程じゃなくて結果を相手がどう見るかが大事だっていうのを受け入れるのに
時間がかかったって話。はい、まさにその状況ですね。
なんだろうな。「努力」は認められてる気がするんだけど「苦労」は認められてる気がしない。
「もっとやれるでしょ?」「もっとやれるはずなのになんでやんないの?」って
日々責められてるような気がしてならないのが現在のストレス。
で、さっきのやらしい私の思いが勃発すると。
結局これが、「後退」につながるわけね。
くやしいけどむかつくけど結局現状を何かしら変えてみないことにはた多分この気持ちは一生晴れんのです。
ならば、現状をかえるきっかけを今逃すのは惜しいのかも。
しかも、そのきっかけは自分の「苦労」が生んだれっきとした「結果」だから。
「楽しみ」をつぶされたからってひねくれんのはやめよう。
それから、下を見るのもね。
なんか、今がんばってる人に申し訳ないから。
今がんばってる人を見てあれこれいう私が、貧相な心持でいることがひどく不純に思えた。
今がんばってる人を前に、私も同じ立場でちゃんと向き合っていたい。
そしたら見えてくるものも、感じ方もかわるかなぁ。
一生懸命やってる人をもっと素敵な気持ちで見れるかな。
いち好きも、20thラニバも、もっともっと感慨深く見れる、そんな気がするのです。
「がんばってる人を前に対等でいられる様、心健やかに働いて楽しむ」
それを胸に4年目からはがんばりたいと思います。
以上、shinjiさんばりの胡散臭さとたくやん並の滋賀スイッチが入り乱れた文章、失礼いたしました。