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one day I remember

今思うこと、ある日いつか思い出す、その日のために

ナイーブ且つひたむきな彼

NHKかけてると、ふと気を抜いたときにラルクがかかるもんで思わず戦闘体勢に なってしまいます。シャキーン!と。 RPGで急に敵に遭遇したときみたい。ふいうちなので敵に囲まれてます。ぎゃー! で、CMなんかよりずっとずっと曲がかかってるわけだし、どぎまぎが続く(笑) 相も変わらずラルクが日常生活に溶け込むことに慣れない、そんなファンです。 あれらは意識して全身全霊で聴けと体がいっている気がする。 ここ最近周りの人によくきかれたのが「Mステ1000回の時みた!?」です。 あの、今までにMステにでたアーティストの初登場の映像が流れたっていう回ですよね? 残念ながらお仕事でみれなかったんですが、「よかったら貸すよ?」とか 「ラルクとかシドとか一瞬でてたよ」と情報を皆様下さるのでありがたいです。 でも、まぁ、ぶっちゃけた話、ラルク初登場(ビビカラ)の映像もってるからなぁ・・・ ビデオだけど。ものすごくぼろい映像で、もう擦り切れるぐらい何度も見たんだわ。 その他にも「HOTWAVE」っていう番組にでていたころとか、ラルクちゃんが97年に休止してロンドンに いた頃の映像とか(ハイディがチャリンコに乗ってる)、ベーゴマではしゃいでるのとか なかなかおいしい映像満載のビデオでして。 あれDVDにして永久保存にしたいんですけど今見たらどうなってるんだろ。 で、まぁいろんな人の初登場がひどかったっていう話で GLAYの長髪とかYOSHIKIのファンデがのってないとか、昔のロックバンドは とりあえず髪のばして顔白くしてればどうにかなるでしょ的なところがあったなぁ なんて思って笑っていたのですがあんましハイディに関しては言及されなかったのよねー。 一応、髪伸ばして顔多少白くしてたはずですけど。 ハイディが髪伸ばすのって、ロックバンド的な長髪というよりふつーの女性が髪のばす方の感覚にとられて あんまし違和感なかったのかもしれない。しかも、ビビカラあたりの時ってぶっちゃけ一番ナチュラルメイク だったように思う。もとの目力押しでアイメイクもあんまし施されてないし。 今思うと、ハイディのあのビジュアルのおかげで昔のロックバンドにありがちな「ダサさ」は 回避できてたのかな。だからあんまし笑われずにすんだ。妙に納得された感じ。 まぁ、テちゃんが半分台無しにしてたけど。 今のビジュアル系の人たちってどうだろう、とふと考える。 以前のような一辺倒の状態にはなっていないし、まぁやり方も見せ方も多種多様になって センスはあるのかもしれないね。 その背景には、「ダサい」と思われたくないっていうのが強くあるのかも。 なんかね、先輩がたらは自分らが憧れた姿(洋ロック)っていうのがあって そこをひたすらに突き進んでいったって感じだけど、それがもたらした不利益を 今の子達は学んでいて、先輩がたらのここはかっこいい!と思う反面 ここはちょっともう受け入れられないなっていうのも繊細に感じ取って 自分が見せたい世界8割、周りとの協調2割でやってるみたいな。良くも悪くもずる賢くてナイーブ。 その代表格のシドさんですが、笑。 マオにゃんが今月号のワッツインで、「バンドそのものがダサくみられて肩身が狭いのをなくしたい」って いってて、この人痛烈にそれを感じてるんだなぁって思った。 どうすれば自分が周りと協調しつつ、且つ、周りを変えていけるかを必死こいて考えてるよね。 aikoボニーピンクYUKIを好んで聴くのはあの人個人が尊敬してるのもありつつ、 自分のバンドの曲をいかにきいてもらえるかの参考にしてる、 ビジュアル系っていうジャンルに依存しないスタイルを得ようと糧にしてるように思えるのね。 (だからってマオにゃんに女子化されても困るけどさ。) なんかその行為はひたむきだなぁと思う反面、1路線にひたむきになれない物悲しさも感じてしまう。 そうせざるを得ないのかと。 ギターロックにしろビジュアル系にしろその路線一本でど真面目に、ど正直にやればやるほど ダサくみられてしまってね。もうそれって「優等生がダサい」っていうのと一緒じゃん。 ちょっと不良で、ちょっとすかしてて、たまにいいこというやつがカッコイイんでしょ? だからEXILEが売れるんだろうね。スマートに踊ってみせるダンスミュージックがはやるんでしょうね。 ロックっていう言葉ひとつだとなんだかキナ臭い感じがするから そこにヒップホップだのテクノだのダンスミュージックとおりまぜミクスチャーにする。 そうすると聴いてくれる。あるいは、ダンスミュージックにちょっとギターの音を交えれば自然と耳を傾ける。 うちの兄様はギターロック好きですが、kenちゃんやshinjiさんがかき鳴らすようなエレキギターの音を 「昔の音」っていう。まぁ、いってしまえば90年代後半によくあった音ね。 でも、それがたとえ今日のギターロックの波におされて少数派になったとしても 「昔」になったわけじゃないよ。 その音だけを過剰に聴きすぎて偏った末に自分が捨ててしまっただけであって。 今だの昔だの、ダサいだのダサくないだの、ジャンルがどうのこうの、みてくれがどうのこうの 外部要因にばっかりとらわれ過ぎて、その人たちがど真面目に作った曲をまっすぐに 聴いてあげられないことが、聞く以前に遮断されてしまうことがどれだけ悲しいことか。 自分もこの記事かいてて悲しくなったわ。 私、ちょっと前に「みてくれ愛して何が悪い」って書いたけど、あれって、 「外見を見て好きになったわけじゃなくて中身を好きになった」って言う人ほど、 外見に対して過剰に意識してるってことを言いたくてね。 みてくれから入った人よりよっぽどひねくれてると思うよ。 世の中の勝手な流行や思い込みで、本気でやってる人たちを萎縮させてしまうようなら それは断じて止めてほしいと、えらそうながら常々思っています。 やるならとことん、おもいっきり、気が済むまで。それができる人が今少ないから。 足りないのは、その本気を受け止められない受け手の度量。 マオにゃんがんばれ。 うん、今日の私、滋賀スイッチ(無駄に熱く語る)入ったな。