one day I remember

今思うこと、ある日いつか思い出す、その日のために

  放課後。 午後からの3時間、たっぷり眠った俺に課された資料の山。 明日の進学ガイダンスで使うレジュメを文系クラス分ホッチキスでとめろのこと。 あの担任、俺が寝るのを糾弾しない代わりにこういう時利用する。 まぁ、持ちつ持たれつってやつ?俺の得意とするずるがしこさが似ていて腹も立つし納得もする。 あ、ホッチキス、ない。 これじゃレジュメできねぇじゃん。わざわざ職員室までいってあいつの顔見んのやだしなぁ。 どこかになかったっけ・・・・・あぁ、そういえば。 頭の中でひとつの空間を思い浮かべる。司書室の机のセロテープ台に引っかかってる青い物体。 「よし。行くか。」 「失礼しまー・・・す?あれ、だれもいない?」 しまった、職員会議があるっていってたっけ?みんな、職員室だ。 入った司書室には人の影はなく、長年しみついたインスタントコーヒーの匂いとゴォーッッと音を立てて再加熱する電気ポットだけが存在をあらわにしていた。 部活に入っていない俺は、放課後この図書室に入り浸ることが多く、司書である先生に時折 このコーヒーわけてもらったりしている。 純文学を先行していたらしい彼は、たまに思いもよらない意味不明な引用と教えを俺に言ってくる。 加えて、あの、主張の強いメガネ。あだ名はもちろん「インテリ」。 「まぁ、いっか、そのほうがいいや借りやすいし。」 と、先生の机を見渡しホッチキスを探す。今日は机が割りときれいな日だ。 月の満ち欠けと同じ周期で彼の机の上は綺麗になったりゴミ溜めのようになったりする。 今日は、ほっそい三日月。たぶん。 「あ、あったあった。・・・・ん?」 重ねられた書類を押さえるようにしておいてあったテープ台にホッチキスがあったのだが 気になったのはその押さえられた書類の一番上の紙、にかかれていたメモ。 ”確認お願いします(来月の分です、先生のリクエストの『禁色』は却下です)  雨宮” 先生のお願いをざくっと断るそのメモの意志の強さと、名前に意識が集中した。 「雨宮、雨宮・・・籐子」 「はい。」 ガチャン! 突如、後ろからかけられた声にもっていたホッチキスを床に落としてしまった。 中に入っていた芯がいくつかとびちる。 「わ・・・っ!びっくりした!ちょっといきなり後ろから声かけないでよ。 あー、もうホッチキスこわれたらどうすんのさ、あの先生文具とか地味にこだわって高いの買ってそう なのに・・・。」 「え、だって、今、よんだじゃないです・・・・っ。」 さして大きい声ではないものの芯の通った声で勢いよく返してきたはずの声が、俺の顔をみた 瞬間ばっっと顔を背けた。何、その、失礼なの。 「すいません。」 俺の心を読み取ったかのように彼女はぺこりとお辞儀した。 「雨宮籐子さん。図書委員長の。これは、来月の図書だより?」 「えぇ。そろそろ確認し終わってるころだと思って様子見にきたんですけど・・・」 「会議いってるよ。」 「めずらしいですね。大概サボってますよ。」 「あ、そうなんだ。」 学校のいざこざにわざわざ首突っ込みたくないって、特に人事関係は。」 「あー、確かに。あの人敵も作らないけど味方も作らない一人ぼっちだよね、基本。」 「愛と勇気と純文学だけが友達なんです。って、自分で言ってました。」 「うさんくっさ。」 「で、あなたは?」 「担任にレジュメ作り頼まれて、ホッチキスないからここに借りにきた。ついでにコーヒーもらいに。」 「そういえば先生、最近じゃれてくる猫が1匹増えた。っていってたんですけどあなたのことだったんですね?」 「何それ!あいつそんなこといってたの。うわすっげぇむかつくインテリの癖に。」 「純文学に猫は付きものですからね。」 「ひっかく。ひっかいてやる。手始めにここにある重要書類全部引っかいて台無しにしてやる。」 「ふふっ・・・楽しそう、あ、でも、一番上のそれは引っかかないでくださいね?」 「うん、それは君の毎月の努力に免じて。ところで、このメモ書きに書いてある『禁色』って何?」 「あ、それは三島由紀夫の小説です。先生にいつも一応次紹介する本どうするか聞くんですけど 大体が純文学か森博嗣のものすっごく理工学系の本で、そのどちらも私が読めない分野なんです。 今回は究極の嫌がらせだと思いました。なんていって私にその本紹介したと思います? 『お前彼氏いなさそうだしこういうの読んで胸ときめかせたら?』って。これ、男が男を誑かして堕落していく話ですよ!?高校生に薦めますか?そんなの。それをまた、全校生徒にひろめようとするなんて何考えてるんでしょう・・・もう。」 「人格破綻者もいいところだ・・・。確か俺、言われたことあるわ。 『堕落と禁じ手とモラトリアムは高校生の大好物だろう』って。そこまで高校生堕ちちゃいねぇよって 反論したけど。あれはあの人のモラトリアムが作った高校生だっつーの。」 「なんだかんだで、私たち彼のよき理解者になってませんか・・・?」 「そう、それも結局あいつの魂胆だったりするの。それが余計むかつく。 ホッチキスの在り処を考えたときに真っ先にここを思いついた俺がいやになった。」 「・・・・私はうれしかったんですけどね。」 「ん?」 「あ、なんでもないです。」 結局、会議が終わって先生が戻ってくるまでそのレジュメ作りを手だってもらうことにした。 これで早く帰れる。よし。 紙が擦れる音、がちゃんと紙を止める音、校舎の外から聞こえるサッカー部の生徒と顧問の掛け声。 ポットのお湯はすでに再加熱を終え静かに待機している。 あのあと、特に会話もなくもくもくと作業を行う中、BGMとなったいくつかの音に半分意識をもっていかれ もう半分は、目の前の彼女に向いていた。 俺が彼女を再認識したのは、さっき彼女が出来栄えの確認をしにきていた図書便りで。 半年前、担任に「貼っておけ」といわれ渡されたそれを何とはなしに見たのだ。 こんなん、読むやついんの?って。馬鹿にしながら。 内容はたしかにどうでもよかった。新刊の案内と、貸出しランキング、利用者トップランキング、図書委員長おすすめの本といったラインナップ。 きっと、この利用者トップの人しか読まないであろう内容のいちばん右下にある名前を見て、 その文字に異常な懐かしさを覚えた。 「雨宮籐子」って確か・・・。 一つの机に向かい合ってすわり一緒に解きあったプリントの問題。その上に丁寧に書かれた名前。 画数の多い「籐」の字を、小学生でありながらバランスよく綺麗にかけていた名前。 そうだ、あの時の彼女だ。 俺はその偶然の再会にすこし心を弾ませ、気まぐれにそのおすすめの本とやらを 読んでみようという気になったのだ。所詮は暇をもてあましていた俺だから。 そうして半年たった今、俺は本の虫になった。 彼女は、俺のこと覚えてんのかな。 「ねぇ。」 「何ですか?」 「俺のこと、わかんない?」 「え?なんですかいきなり・・・。」 「塾」 「じゅく?」 「塾で一緒だったの、さ。忘れてるか?覚えてないよね。」 彼女の目がまん丸に見開いた。あ、今思い出したなこれ。 「思い出した?」 「あ、の・・・・・、ハイ!今、今思い出しました!今なんです!」 「ふっ・・・!何それそこ必死に肯定するところ?逆に傷つくんですけどー。」 「すいません。」 「いや、謝らんでもいいよ。ただ、俺的にちょっとあまーい思い出だったもんでね。」 「チョコバットですね。」 「そう、チョコバット、笑。あれ、今でも売ってるねぇ。たまにまとめ買いする。」 湿気てるんだか湿気てないんだかよくわかんない食感がいいんだよなぁ。 なんて、彼女との思い出から駄菓子との思い出に切り替わっていた時、彼女が思いがけないことを言った。 「塾の思い出は、今思い出しました・・・、けど、私もあなたのこと知ってました。」 え、なんで?俺らってそれ以外の接点、ある? 「私も伊達に図書委員長1年やってるわけじゃないですよ。貴方の貸出し履歴が面白いことになってたんで つい、覚えてしまったんです。」 嘘嘘、何それ。 「え、そんなん見てるの。プライバシーの侵害じゃん。」 「カードとおしたらパソコンの画面に出てくるだけです!別に、故意に見てるわけじゃ・・・」 「じゃあさ、この利用者ランキング3位の人の履歴とかだって故意に見てないとすればわかるよね、大体の趣向とかさ。わかるんでしょ?言ってみなよ。」 「それは・・・、分かりません。」 「ほら、やっぱり故意だ。」 「だって、私が薦めた本と作家の本を次々借りていかれるから! ・・・そっちこそ何か魂胆があるのかと思いますよ。」 思いのほか、彼女は強気で疑いの目を俺に返してきた。 「いいよ。俺は雨宮さんみたいに意地らしくて悪趣味な人間じゃないから隠すつもりもないし言うけど、 単にたまたま見た図書便りに、見知った名前があって特に何もすることがなくて暇だったから気まぐれに それを手にとってみただけ。そしたら思いのほか楽しかったの。で、普段何かに没頭するすることは なく、且つ自分で面白いと思うものを探そうという労力がなかった俺はそのまま君が薦めるがままに その本を読んでいった、それだけのことだよ。 しっかし・・・楽しいって思う俺も俺だけど、散々な話ばかりで正直雨宮さんの人格を俺は疑ったね。」 「酷い・・・」 「えぐくて暗くて報われなくてもがいて、騙しては夢を見る。そのほの暗い夢をまた実現させようと どんどん深みにはまっていく。不思議とその仕組まれた罠が成功することに自分が喜んでるんだよね。誰かが悲しんでいるのに。誰かのアンハッピーエンドが君のハッピーエンド。君は主人公気取り、あるいは、主人公をいいように動かしてほくそ笑む演出家。」 強気には強気、疑いには疑いを、倍にして返す。これ、俺の定義。 「君、現実から逃げてる臆病者でしょ。どうせ。」 そうそう、いるんだよそういう奴。 夢見がちな子。自分を卑下する子も嫌だけど、夢しかみてなくて現実興味ない子もどうしていいやら。 あーあ、面倒くさい子に育ったわけね。ちょっと幻滅。 幼いころの淡い想いがちょっとずつ乾燥していく。 レジュメを作っていた手をとめ俺はいったん無人になった(サッカー部は休憩中)グラウンドをボーっと眺めた。 すると、コトリ、と彼女もまたホッチキスを置いて部屋はほぼ無音になった。 「違う。」 震える声に俺は横目で見返す。 「違うって何が。」 「違います!夢を見てるのは私じゃなくて・・・あなたのほうじゃないですか。 没頭することがなくて本の虫になって、あなたはどこかで世の中の酸いも甘いも見てきたような気分になって 私のことを勘違いして酷い言葉をぶつけてるだけ。」 「被害妄想ひどいね。それも症状のひとつ?」 「私が100%あれらを好きで好きで不特定多数の人に教えたくて紹介してると思ってるんですか? 私が恋に恋して本にでてくる誰かとの色恋を喰って生きてると思ってるんですか?冗談じゃない。」 ギリっと奥歯をかみしめ、机の端をぐっと爪を立てつかむ彼女。 「私が・・・現実を生きていない、現実に恋をしていないって・・・それを、あなたが言うんですか?」 気づけばぽたぽたと彼女の目から涙が出ていた。 やば。俺、今月2回目だ・・・泣かしたの。何で泣くかな。泣けば自分が正しいとか思ってんのとかむかつく。 とことん泣いて蒸発すればいいのに。 「じゃあ・・・言えよ。言ってみなよ。好きな人がいるんなら、さ。今ここで。」 うつむいていた彼女の顔がハッとあがり、険しい顔でこちらをみた。 右手の甲で両頬に流れる涙をぬぐい、1度大きくゆっくり息をすって吐くと、 なおも潤んだ目でまっすぐ俺の顔を捉えた。 言えるもんなら言ってみろ。 「好きです。」 「だから誰が?」 「誰が、じゃなくて、好きなんです。」 「は?」 「誰でもないあなたが!私が選んだ本を読んで面白いっていってくれるあなたが。 あなたの趣向を探って、思って選んだ本にまんまとはまり込んだあなたが どうしようもなく嬉しくて、好きなんです。」 え、どういうこと? 「昔のこと、覚えてないなんて嘘にきまってるじゃないですか。 あの頃、誰とも遊べなくて勉強しかなくてつまんなかった日々に、楽しみと甘いお菓子を与えてくれたあなたのこと忘れるわけない。 一回だけ、『ホームラン』がでて二人で嬉しくて駄菓子屋かけこんで、もらったお菓子を私にくれたことも。 『女子中かぁ・・・』ってため息ついたときのつまんなそうな顔も。 だから、私高校は絶対共学にしようって。あの時勉強に一生懸命なあなただったからきっとここに 来るだろうって、信じて、ここまできた。国語と社会が好きなあなただったから文系クラスになることも 全部全部、思い込みを頼りにして私はあなたと一緒になれるように努力したの。」 なんだ?このすごい執着心と大胆性を兼ね備えた告白。 あぁ、これ、運動馬鹿で体育会系つっぱしってるあいつはひくな。ドン引きだ。 あいつ自身の判断は正しい。けど、俺は・・・。 「・・・すごいね。めっちゃがんばったんじゃん。でも、俺、投げちゃったからね。あっちのほうは。」 「そうです。1年目、クラスが違うのは仕方ないって思ってた。最初っからうまくいくはずないって。 でも、ここまで努力したのが報われてきたのもあって、私はそのまま自分の思い込みを信じた。 がんばるあなたは2年生になったらきっと文系トップクラスになるだろうって思ってたのに そこが誤算だった。ねぇ、何があったんですか? あなたと勉強をつきはなしたものはなんですか?私とあなたを突き放したものは何ですか?」 彼女の勢いにおされ、さっきまでの嗜虐心が引っ込み俺は素直に答えた。 「しいて言うなら、サッカー馬鹿な悪友?勉強もそれなりにできて、でもそれが一番じゃないっていうのが俺にはかっこよくみえたんだよ。で、勉強しかない自分がどんどんつまらなく見えた。 それから、真面目なやつが損をするっていうことも経験したしね。散々利用されて、『あいつ使えるけど、友達にはしたくねえよな。』って言われたこと、ない?」 それを俺は中学で経験した。 なんでだろう。勉強をしていれば、賢ければ、将来への選択肢は増えるはずなのにいつまでたっても 俺の世界は小さいままで溜めただけの知識はパンクしそうになって俺は頭を抱えた。 俺はいろいろ知ってるはずなのに、「世の中勉強だけじゃない」って、そんな単純なことをしらなくて。 誰もそんなこと教えてくれない。なのに、試験週間だっていうのに遊びほうけてる俺を利用したあいつらが何で知ってるの?おもえば、中学の3年は地獄だったように思う。 「頭いい奴の中に紛れれば、俺の頭の悪い部分が浮き彫りになって少しは楽になるかなって 理由でこの高校選んだよ。別に、エリートになりたいわけでもなんでもない。はなっからトップクラスになんていくつもりなかったんだよ。」 「そうですか・・・。」 「ごめん。なんか。」 「いいえ、いいんです。それで、あなたが勉強以外に手にしたものは、読書、なんですね。」 「結局、勉強とあんましかわんないってところが淋しいよね、笑。けど、5教科から得られる世界より はるかに広い世界をほんの少しでも味わえるのはいいと思うんだ。言ってしまえば、これも きっかけでしかなくて、この無数の世界から目を惹く何かを見つけて、見つけたら今度はそれに どっぷり浸かろうって。」 「とはいっても、あなたが今までに読んだものってドロドロとした男と女の愛憎劇か、めちゃくちゃファンタジーの どっちかですよね。そもそもこれらに将来への道へと繋がる鍵はあるんでしょうか・・・」 「それは君すすめるからじゃない。じゃあ今度からはドキュメンタリー小説でも紹介すれば。 まぁ、確かに将来には何の役にも立たない、かも。どっちも現実から大きく離れたフィクションだもんなぁ。 そうそう、現実にはこんなに好きな男に執着してる女っていないって話をさっきそのサッカー馬鹿と話してたんだ。」 俺たちが織り成す恋愛劇はまだまださわやかな風を纏って、傷つけることを怖がって、傷つきたくなくて。でも幸せになりたがってる。そこが甘いんだよな。 それなのに、「泣き顔も笑顔も見たい」なんて砂吐きそうなことを軽々しく言うんだ。 「ねぇ、俺のこと好きなんだっけ?」 「へっ!?あ、ハイ。そうです。」 「さっき自分が言ったんだよ?忘れた?」 「忘れてないですって。」 「駄目って言ったら?好きになっちゃ駄目って、付き合う付き合わない以前に好きになられるのも御免って言ったら?どうする?」 「えっと、それは、その・・・駄目ってことですか?」 「まぁ、俺の友達ならまず、さっきのは引いたわ。」 「そうですか・・・じゃあ、あきらめま・・・・んぐっ!」 とっさに俺はその子の唇を塞いだ。あ、手で、ね。 残念ながら、俺の好きなタイプの唇じゃない。 「いわないでよ。それ以上。それ言ったら俺本当に君を嫌いになるからね。本当に幻滅するからね。 なんだったのさ、さっきの異常な執着に燃えた告白は、俺に喧嘩ふっかけられて逆上して言わずにいられなかった 数年越しの想いはさ。俺が駄目って言ったらあきらめられるようなもんなの?そんなもん? そんなん投げつけられたほうの身になってみろよ。 あのさ、男子って女子が思う以上に馬鹿で子供でどうしようもないんだ。 なんとも思ってない子でも告白されたら、妙に意識しちゃうんだ。誰だって「好き」っていわれたら 嬉しいんだよ。そうじゃない?そうやってこっちは開きかけてる心で君を招いているのに、告白した本人はすでに背をむけて歩き始めてる。どうするの?開けっ放しの扉は誰が閉じるの? あきらめないでよ。もっと必死になってよ。君が選択した本の主人公の女みたいにさ。 縋り付いて泣けばいいじゃん。ナイフ差し出したっていいじゃん。首絞めたっていいじゃん。 ねぇ、相手はそのあとどうした?そしてそんな話を嬉々として読んでる俺だよ? 俺がどういう答えを求めてるか、もうわかるよね?」 そっと、塞いでいた手を離した。俺は次の言葉を待ってる。 「・・・・好きになってくれないなら、あなたの勝手な人間観察と妄想癖を全校生徒の前で叫びます。あなたの周りにどんな女も近づけさせないようにします。そして私だけしかいないようにします。あなたの選択権をなくします。だから、私を好きになってください。」 「・・・最高。」 おれは思わず彼女を抱きしめた。彼女が小さく跳ねるその一瞬だけ、恋をした。 「とはいってもですよ。」 はい、と彼女はホッチキスで紙を束ねながら小さく返事をした。 「完全に好きになったわけではないからね、俺は。あくまで好きになりかけたんだよ。」 「そうなんですか?」 「うん、俺好みには程遠い。」 「えぇー。」 「まずはその唇。カサカサなのは許せん。俺のリップをあげるから、使いなさい。けど、それだけじゃ駄目。ちゃんと色つきのグロスを買って俺の前では食いつきたくなるような唇でいること。」 「ど変態ですね。」 「言うね、君。それからまつげ。自然体はなかなか良い線いってるけど、俺がすきなのは自然体にみえる切れ長の目と睫毛なの。だから、マスカラはボリュームタイプじゃなくてロングね。カールは目じりをさりげなく上げる感じで。メモとった?」 「レジュメつくってるのにできませんよ!っていうか、どこから得てるんですその情報?」 「姉ちゃんの雑誌。よく、リビングにおいてあってさ。見たいテレビなんもないとき見てた。」 「女の人の化粧に詳しいなんて変、です。」 「また、そうやって悪態つく。照れ隠しだかなんだか知んないけど俺そういうの好きじゃないからね。 もっと素直になって、君は女の子のすることにもっと興味を持ちなよ。」 「あなた好みの私になるんですか?」 「なったら好きになるよ、今より確実に。」 「そんなの、私じゃなくたってできる、じゃないですか。」 持っていたレジュメとホッチキスを置きその手をぎゅっと握りしめて膝の上へと置いて、彼女はうつむいてしまった。 「私は、私を好きになってほしいのに。」 うつむいた顔に西日がさしかかり、髪は鮮やかな栗色に、顔は上気した頬の紅に朱がのせられ 熟れた果実のように艶やかに輝いていた。ちょっと、かぶりつきたい。 彼女がうつむいてるのをいいことにしばらく、ぼーっとみてしまった。 「・・・うん。そういうのもっと言って。そういう執着を口に出せるのが他の子よりいいところなんだから。 みんなが俺好みの姿になったからってそれをいえるのは君だけでしょ。」 「見た目から入る恋なんて、夏風邪よりたちが悪いんですよ?」 「ふふ、なにそれ?」 「流行り歌です。言い得て妙、だと思いまして。」 「いいんじゃない?たち悪くて。抉らせれば抉らせるほど長引くんなら。」 たわいもない会話が続く。なんだか無性に楽しかった。 このレジュメ、なんなら理系クラス分も作ってやるって言い出しそうになるぐらい この時間が妙に愛しいのを感じた。 そういえば。朝にはこの子のことなんてちっとも頭の中になくて。 昼休みにあいつが何気なく出した出席番号とクラスが俺の頭の隅の引き出しをさっと開けて 過去を展開した。手を取ったのは掲示板の図書だより。 あいつがこの子のことを知ってるわけがない。それは紛れもない事実。 でも、ふと目にした数字が俺に意図を与えてくれるみたいに、その逆もあるのかもしれない。 誰かの意図により、その数字がひきおこされることが。それはもう必然だ。 ほら、もうこんなにも君のことが気になってしょうがない。 「こうなることをずっと願ってたんだね。楽しい?」 「えぇ、楽しいです。ほんと、願っても夢にも思わなかったですけど。 まさか、こんなちゃんと話せる時が来るなんて。」 「あのね、君の祈りはね、届いてたんだよ。きちんと。 残念ながらうちのクラスの避雷針が先にキャッチしちゃったみたいだけど 俺の友達だからね、そいつ。ラッキーだったね。」 「祈りは勝つ、祈れば勝てる。私が信じていることです。」 「いいね。じゃあこれからも祈ってて。俺とちゃんと付き合えますようにってさ。」 「あなたが私を思ってくれるように祈ってます。」 それならきっともうかなってる。 君が祈る度、恋をしよう。 その瞬間がどんどん繋がっていつか本当に落ちるまで。