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one day I remember

今思うこと、ある日いつか思い出す、その日のために

とびきり優しい気持ちで

  今、ある人の小説を携帯で読んでるんですが(ぶっちゃけるとrps) それがまたもうそんなジャンルなんぞ超えてものすごく素敵で、 胸を痛めつつもほとほとと涙を流して妙にすっきりして朝を迎えております。 今の仕事先の学生バイトちゃんのほとんどが心理学科の大学生(その大学が近いから) なんだけど、まぁ、4年生で就職先もほとんど決まってるわけですが 誰一人としてその学んできた分野に絡んでない仕事なのよね。ふつーに小売もいます。 まぁ、それを仕事にするのは難しいとは思うんだけど、ふと、何を思ってこの子らは心理学を 学んだんだろうと気になりました。まぁ、みんな一癖ふた癖ある子たちなのはよくわかるけど。 その大学、実は滑り止めで受けていました。実際行った大学では経済学だったのでまるで 分野が違うんですが。まぁ、結果そっちで正解だったのかなぁ。 なんであの時心理学に興味を持ったかって、その当時性同一性障害の方のサイトみてて その人の気持ちを分かりたいって思ったのよね。不思議な人でした。 不思議な人だと思ってましたが、長く見ていたら、まぁ、私の中では「よくいる人」になりました。 体験入学に行ったとき、やたら数値的なお話がよく出てきました、それから、大学のサークルの 後輩で心理学を専攻した子が毎度毎度実験だ実証だので苦労してるのをよく見ました。 あぁ、そこでこれは統計学なんだと思いました。心理学は、これまで生きてきた人のさまざまな 実例をかきあつめてかきあつめてなりたったものだと。その有数のパターンにあてはめて 「この人はこうなんだ」って、それを私はしたかったのか?当てたかったのかと思うと 当時見ていたサイトの管理人さんにどうしようもない罪悪感が生まれました。 私は、ただ、自分の知らない世界を尊いと思って興味を抱いただけなんですね。 興味本位で優しい言葉かけたり、理解者気取りしたかった。 なんとなくその人の「特別」になりたかった。 けど、やっぱり理解は仕切れないもので。 堂々巡りになって抜け出せない感情に、私は飽きて疲れて、「何だこの人」って最終的に呆れた。 で、もっと身近にいるんですよね、私には。叔母が。躁鬱です。 もう何年も薬を飲んでる。それは一生のみ続けなきゃいけないものです。 まぁ、念に数回海外にいってはストレス発散してるような、傍から見たら、きっとそんな風には 見えない人。お盆と正月に必ずここに帰ってきます。 その3,4日いるだけでも、一緒にいる母や私はどうしても苛々を抑え切れないときがある。 ものすごくしゃべって、ものすごく自分の時間で人を振り回していて。 それをむこうは分かっているんだけど、それをどうすることもできないの。 私だって、分かってあげたいけど分かってあげられない。 病気だって割り切るしかストレスを断ち切る方法がない。 嫌いじゃないけどたまにものすごくいやになる。 でも、彼女がいるおかげで、いろんな人の話をわりと聞き続けられるっていう力は備えられました。 それは感謝です。小売・接客に聞く力は必須なので。 なんらかの事象や、名前にその人を当てはめることで 当人も落ち着くし(自分が何者かが分かる)、見ている人だって割り切れるのかもしれない。 そうでなきゃ、つらい。 理解するって、好奇心や興味だけじゃ絶対無理。 だからって、端から理解しないって割り切っちゃうのはよくない。 理解してあげたいっていうポジティブな気持ちはもっていても悪くはないと思う。 ただ、分かってあげられないことにネガティブになりすぎたりストレスを持ちすぎずに 「そういう人がいる」って認めてあげるだけでいい。 「理解」を求めてるんじゃないと思うんだ、叔母も。「認めて」ほしいだけだと思うんだ。 で、冒頭の話に戻って。 今、読んでる小説がそんな感じ。 私みたいな感情をもってる人物もいて。 お互いがお互いを分かってほしくて、それがぶつかりあって、ややこしくなってた。 間を取り持つ人が、「幸せを祈って、祈り続けて、『あいしてる』と『ごめんなさい』と『ありがとう』 と『ゆるして』を忘れずにいいなさい。」って諭しているのをみて、 あぁそっかぁ。って知らず知らず涙が出ていました。 祈ろう。 今日のすがすがしい朝に。 今、アメリカにいる叔母と、当時、理解してあげたかったあの人へ。 幸せでいられますように。笑っていますように。