one day I remember

今思うこと、ある日いつか思い出す、その日のために

今日はしんみり

  思えば1年でいろんなものを失いましたよ。 時間、それはあたりまえのことで。 けどね、自分の楽しみさえ認識して見失わなければ喪失感にとらわれることなんて ないって思ってた。 でもね、仕事初めて新たにほしいものができたのね。 ボーっとする時間。何も考えない時間。 失うはずがないと思ってたものが、新たに出てきたこれに喰われたのね。 何も考えない時間は結局何も生まなくて、失うだけに終わる。 おかげさまで、浴びるように音楽を聴いてた時間、 体いっぱい詰め込んできたライブの思い出をアホみたいにブログに放出する時間、 フォトショで髪の毛をひたすら塗り重ねる時間、 シャーペンで好きなものを描く時間、ごっそりもってかれました。 お出かけする時間、は増えたかな。カフェにいったり、ウインドウショッピングは。 休みになるとね「外でなきゃ!」って思うのよね。外出てぼーっとしたい、みたいなね。 とりもどさないとなぁ、とりもどしたいなぁっておもいます。 とりあえず、手始めに音楽をきくことから。 車の中で限られた音楽を聴くだけの所から脱却。 ハードディスク、MD、しこたま溜め込んだ音楽の棚をひっくりかえして。 1年目は失う年。 そして、「これが一生続くのか」と短期的な目線でその先を見出し、 はやとちりした未来を変えようとして転職を考えるんだろうね。 人様の人生の豊かさに揺り動かされたりもして。 1年目で何が分かるよ、って話で。私だって分かりません。 続けてみないと分からないんだとおもう。社会人を楽しむコツは。 2年目はとりもどす年。全部は無理だけど。もうちょっと折り合いがつけられるように。 この1年、正直自分の人生豊かじゃないなって不安に襲われることが多くてねぇ。 ライブ行って、東名阪ついでに旅行してる奴が何をいう。って感じなんですが。 やー、でも、インプットするばかりで何らかの形でアウトプットしないと、 その溜め込んだいいものが、輝きが徐々に自分を脅かすようになるんです。 その輝きに負けないぐらい自分が充実してたらいいんですけど、してないとね、 空しくなってくるわけです。で、「豊かじゃないなぁ」って悪循環。 ブログで感想とか思いのたけをばーっ!っとかくと、 「私はこれだけいいものを見てきてきたんだ。」っていう充実感が 自分の体験として残って、後に自分を豊かにしてくれるんです。 インプットしてきたものの輝きに負けないぐらい。 だからね、ブログ書くんだろうなって思う。 なんとか自分だけが見つけた発見だとか思いを書きたくなるんだろうと思う。 でね、不安に襲われてる中今回の会報を見てたわけです。ハイディの日記。 6月26日の日記。 田舎のあぜ道を人が歩いている、そんな景色を車窓からみていい景色だ!って 思いつつもそこに行くことはまずない。 憧れはあっても人生の中でそこに訪れることはないだろうというハイディ。 それが「ALONE EN LA VIDA」に繋がってるとのことなんですが。 これ、すっごくわかる。 この前名古屋にいったときお昼ひつまぶし食べにいったんですけど。 そのお店の周辺の街が、いかにも名古屋の繁華街、っていうより日本の街の一つって 感じだったんですよ。私、旅先で訪れるこういう普通の景色がわりと好きで。 京都でも、観光地より京都の住宅街、生活が垣間見られるような所が好きです。 そういうところにいくと、ここにはいろんな人が住んでて生活してるんだろうなぁって 至極当たり前のことを思ってうきうきします。と、同時に あぁ私はこのありふれた風景に溶け込むことは出来ないんだって少し切なくなります。 その感覚が妙にいとしくてね。 そっか、この感覚があの曲に折り込まれているのかぁと嬉しくなりました。 そりゃあこの曲が一番好きになるのも分かる。 そこでね、ふと思ったのですよ。 私にとって何気ない日常の風景が、ハイディの憧れの場所でもある。 彼が溶け込むことの出来ない所に、自分は溶け込んでいる。 嫉妬を覚えるぐらい豊かな人生を送っている彼にも訪れるところのできないところはある。 そっか、彼が羨む部分もここには少なからずあるんだなぁと。 そう思うとほんのちょっと、むなしさが抜けたような気がしました。 うーん、久しぶりに気が滅入ることかいた!終わりまっす!