熱意をこめて紹介する その2
[Alexandros]のNew Album、「Sleepless in Brooklyn」
一言でいえば、「打算」のないアルバム。とても、とても「素直」なアルバム。
アルバムの曲が、ジャンルや曲調に変化はあれどきちんと一つの「世界」に
おさまっていてとても心地よい気分に浸れました。
ブルックリンで生活して得たものを曲に意図的に組んだという感じもなく、
海外に行ったからこそ海外っぽいアレンジを入れたわけでもない、
最終的に自分たちが気に入った「音」と「空気感」を詰め込んだんだなって思いました。
新しいアルバムを聴いて、前の「EXIST!」がいかに喧嘩を売っていたのかがわかるような。
メジャーデビューアルバムより曲は収まっているようでいて、実はめちゃくちゃあまのじゃくなアルバムだったんじゃないかと今更ながら思えてくる。
ほんと、あのアルバムはとっけんはっけん、てんでバラバラで。
それゆえに、POPなアルバムになって聴きごたえがあるし、1曲1曲は楽しいけれども
通しで聴いた時の感動というのはあまりないのかもしれません。
あんな曲もこんな曲もやるんだよ、ほれ聞いてみ!?って。
「手数の多さ」を見せつけようとしていたのかもしれません。
バンドとして演奏する[Alexandros] と、バンドをプロデュースする演出家としての[Alexandros] がきっぱり分かれていて。
「こうしたらこういう風にみられるんじゃないか。いやバンドとしてそれはどうなんだ」と
喧嘩したり冷静になったりして折り合いつけてやりくりした形がああなのかと。
タイアップもほんとおおくて、それによるしがらみもあるでしょうし、
自分たちがやりたい曲、聴きたい曲、聴かせたい音って見えにくい時だったのかもしれません。
自分たちが見えにくいからこそ、「我、ここにあり」と声高にアルバム名を通して伝えようとしていたのかもしれません。
初期の契約期間を終えて、少し自由になれたところで
自分たちが作りたいところで腰を据え、様々なものをインプットし、時間をかけて制作できたこと、本当によかったなって思いました。
このアルバムは「Mosquito Byte」からはじまるか「LAST MINUTE」からはじまるか
ですこし悩まれたとのことですが、
アルバムタイトルの雰囲気から考えても断然後者でよかったなぁと思いました。
熱くなりすぎてないのがいいというか。
漂っている、街をふらふらうろついている、夜から朝に変わるときの空気を吸ってふと空を見る、そういう浮遊感とか放浪している感じがこのアルバムに合うような気がして。
「KABUTO」や「Mosquito Byte」や「I Don't Belive In You」あたりが出てきた時は
大分エネルギッシュなアルバムを想定していたのですが、
ふたを開けてみたらこれらの曲を収めつつもクールに仕上げてきていたのでびっくりしました。
ライブで初めて聞いたときから好きでしょうがなかった「LAST MINUTE」
夢現のような歌詞で、大人っぽい曲。
前作のアルバムの1曲目も「月」がでていて、
今回のアルバムもまた、夜から始まるのだなぁとわくわくしました。
洋平さんの声がすこしとろん、とろんとして舌ったらずっぽいのがほんと、入眠によさそう。
「アルペジオ」は夜明けにぐっと意志を固めるような。決意の朝を向かえるための曲。
弱さを見せつつも自分を奮い立たせてくれる曲です。
歌詞はとても内面的なことが綴られていて。
きっと、こういう思いで日々を生きている人は多いのだろうと思います。
ただ、これはそういう人を想像して書いたわけではなく紛れもなく洋平さん自身が自分を見つめて書いたことで。
でも、誰かに向けてかかれた嘘くさい慰めの曲よりよっぽど響いたりします。
特に周りに気を使いながら一人で何かと戦っている人には刺さる曲です。
Say,"NO"to the world
「言いたいことも言えないこんな世の中じゃポイズン」を今いちばんかっこよくうたったらこうなるんですよ。えぇ。
このあと攻撃力の強そうな曲が2曲続いてちょっと体温が上がったところで
すっとはいってくるのが「ハナウタ」
この緩急がまたいいです。焼肉のあいだにたべるキュウリとか冷ややっことかほんとおいしいですよね。それです。
一気になんか切なくなります。春の桜が散り始めたころ、追いかけてもつかめない春、とどめておけない景色と時間。秋の金木犀の香りの儚さ、もう少し香っていてもいいと思うもの。その、あとちょっと追いかけたくなる気持ちを私はこの曲から感じます。
季節の始まりよりも、季節の終わりが似合うのかな。
何を馬鹿みたいにロマンチックなことを言ってるんだと思いますが、
そういう気分になれるのは一人のときです。一人の時に感じることのできるちょっと恥ずかしいぐらいのロマンチックな情景がこの曲を聴くには大事だなと思うんです。
この歌詞を書かれた最果タヒさんも、洋平さんも同じ「一人」を好む人。
一人でぼそぼそっとつぶやくぐらいに歌うのが気持ちいい曲です。カラオケは難しい。
「PARTY IS OVER」で一気に室内に。
このあたりでも箸休め的な、スロウでチークタイムでも始まるかのような曲を
勝手に想像してたんですが、そこまでスロウではなく、
オシャレな、日本でもちょっと流行ったシティポップっぽい曲でした。
遅くはないけれどちょっと腰をおとして後ろにノるようなテンポですね。
失恋曲ですが、「Leaving Grapefruits」ぽどしみったれていないのは曲調のせいでしょうか。
始まらないよやってらんないよって言ってても、踊りながらしれっと手を振って
もう次を見ているんじゃないかってぐらいには思える。
次のパーティーに焦点定めてるみたいな。
あるいは景気づけに男友達とこれから一杯のみにいきそうな。
「Your heart was beating」って歌うときの発音がめっちゃよくて。いや、当たり前なんだけど。わ!英語しゃべれる人のきれいな発音だ!って今更ながらハッとする。
そのあとのすこし細めの声で「君のか弱い場所」って歌うところが耳に残る。
「しっとり」でも、「じめじめ」でも「どっしり」でもない、どことなく気だるげな曲。
今まであまりなかったタイプの曲なのでライブでどうなるのかが楽しみです。
「MILK」からまたハードなモードに入り、アルバムの中でおそらく一番どす黒いモードで
やっているであろう「spit!」にたどりつく。
歌詞カードの右ページがぐちゃぐちゃ!ってペンで書きなぐって塗りつぶしたみたいに
なってるけれどまさにそういう心境の歌詞なんでしょう。
「Mosquito Byte」の勢いで作った妹分的な曲でありながらも、熱がこもりすぎてないところがとてもかっこいい。
早口でまくし立てる英語のサビはやっぱこれだなー!って思わせてくれる。
「KABUTO」でハードなモードがおわると、曲名がちょっと特徴的な
「Fish Tacos Party」がはじまる。
そのタイトルから、前作の「クソッタレな貴様らへ」のようなヘンテコな曲を想像していたのですが全く違いました。
ラテンなノリのイントロから、洋平さんの「ウーウーウー」というハミングが入ると
そのキャッチーでぐっと惹かれるメロディに耳がピンと立って聞き逃してはなるまいといった気持ちになりました。
Aメロはお得意の早口英語で、Bメロで感情がさらに高ぶってサビで一気に飛び上がる感じ。
これはもう、どストレートな[Alexandros]の王道パターンの名曲じゃないですか。
「Starrrrrrr]とか「Run Away」とか「ムーンソング」とか。
個人的には曲順もあいまって3枚目のアルバムに収録されていた「Kill Me If You Can」を彷彿とさせるなぁ、と。
ほんと、ラジオでリスナーが言ってたみたいになんでこの名曲に「Fish Tacos Party」ってタイトルつけたんだそんな雰囲気微塵にもねぇぞって私も思ったわ(そこまでいってない)
ただ、歌詞に書かれていることと曲名が必ずしもつながるわけではないとおっしゃっていましたね。
歌詞を書いている時にその曲のことや歌詞のことだけを考えているわけではなくて。
どうしたって五感がそれだけに集中させてくれないことはある。
おなかが減れば食べ物のことを考えるし、その時いい匂いがすればそれが頭に残る、おいしければその味が頭から離れない。
好きな人がいれば好きな人を思い出してしまうし、置いてきた猫にあいたくなれば猫の画像見ちゃうし、動画みたら鳴き声が耳から離れなくなる。
窓から素敵な夜明けがみえればそれを覚えて歌詞にしたくなるかもしれない。
とかく雑念は四六時中。
それらも含めて一つの曲が出来上がるのだと思うと、「Fish Tacos Party」というタイトルは十分意味があるタイトルなのかもしれない。
おいしかったんだな、フィッシュタコス。うん。
仮タイトルに食べ物の名前って割とよくあるパターンだよね。
実家の近所にあるタコスやさんに行ってみようと思いました。
すこしでもその匂いと感覚が味わえるといいな。
ボーナストラック2曲を除いて、一応最後の曲となる「Your Song」
なんともかわいらしい曲。
何かを擬人化するっていうファンタジーな歌詞は、一時自分の中でヒットしますよね。
目線が変わる感じが新鮮というか。
自分は若干そのピークを過ぎてしまいましてあまりピンときませんが、笑。
まぁ、ほんと激しい曲をポンポンシングルでだしておきながら、
アルバムの始まりと終わりがとても幻想的で静かなもんで、好きになっちゃいますよね。
端と端が丁寧にリボンでくくられラッピングされている贈り物をもらったような気分。
おっと自分が一番ファンタジーだ。
今回のアルバムはプロデューサー的な人を少し入れたのもあって
[Alexandros]がバンドとしてのびのびと曲を作り、好きな音を組めているように思いました。
ふつう逆かもしれないけれど(他者が入ると自分が抑え込まれる)
メンバーがプロデューサー的な位置に立った時、やっぱり聴いてくれる人だとか
バンドのイメージだとかそっちに走っちゃて、
結局自分が作りたいものから離れて行ってしまうような気がするんですね。
客観的になるということのさじ加減が分からなくなるというか。
だから、第三者がそこに少し介入すると選択する迷いが消えるかもしれないし、
逆に自分はやっぱりこうしたかったんだとはっきりすることもあるかもしれない。
「どう聴かせるか」より「どう鳴らしたいか」
「かっこいいと思わせる」のではなく「気持ちの良い方、好きな方を選ぶ」
それが結果的にいいアルバムを作る最善の選択になるんだと思います。