one day I remember

今思うこと、ある日いつか思い出す、その日のために

はじまりはじまりー

ブログとか日記とかっていつから書こうとしなくなるんだろう。 人の書いた文章読まなくなるんだろう。 ふ、とラルクサイトをネットサーフィンしていろんな人のブログをみていたころを思い出し、 あの頃よくみにいっていたサイトに行くと時が2008年~2011年で止まってる。 中にはtwitterでひとことふたことはつづけているひともいるけど 残されたブログは風化しててどこか寂しい。 ここも、そう。 でも、読み始めるとあー、あの人いいこといってんなー、この人の書くこと好きだなぁって 思ってなんとなくブログ書き始めたくなるんだ。 それが今。 たまに書いてやろうかなってなる。 昔は気合入れてあれこれかいてたけど、もう、今は流れで書けばいいやってなってる。 昔の自分の記事見ると、色変えたりフォント変えたり改行に力入れたり言い回し考えたり 頑張ってるなーって思う。 「奇をてらって」読む人をはっとさせたかったんだろうなっておもう。 この前、twitterで「自称変態」アピールする人についてちょっと話があがって、 私はそれを、「さらけだしているのではなくキャラづくりの一環」だといった。 あけすけ話してる私を「見て」ほしいだけで、実際は「見て」もらうことに力んで 最終的にはあけすけではなくなる。 で、大体は別のアカウントを作って表ではあんな顔してますけど・・・ってな感じになる。 「奇をてらった」自分が自分なのではなく、 「奇をてらおうとした」自分の本意こそが自分。 そのいじらしさがね。 あと、人に気を遣いすぎて本当の自分がわからんっていう悩みを持つ時期もある。 嫌なら人に気を遣わなきゃいい。 って言ったら、たぶん大概の人は怒る。そんなことできない、と。 できないのはなぜ? 人に気を遣ってでも得ておかなきゃいけない他人からの自分像がある。 それに必死な姿は紛れもなく本当の自分なのではなかろうか。 灯台下暗し。 自分が描く「本当の自分」は理想の自分。 理想の自分を描こうと奔走する自分が「本当の自分」。 社会人7年生になりました。少しは先輩気取りでもの申しております! でも、もう1,2か月もたてば私もまた1年生になります。 共にがんばりましょう新社会人。 なんて、かっこつけてるきょうはエイプリルフール!