one day I remember

今思うこと、ある日いつか思い出す、その日のために

あの日、日産でみた人生の一片

わすれたころにブログをかきまするん。 今、20thラニバの2日目をみています。BSプレミアムでワールドツアーの映像流れたの見てたら むくむくとラルク模様です。 そうそう、次は日産でのことを書こうといっていてだいぶ月日がながれましたね…。 気づけばシドっちゃんのツアー前半おわりにさしかかってる。 ライブからは2か月たちましたが鮮明にのこっといることはあります。 REVELATIONでバックステージに来たとき、ちょうどhydeさんがのっているゴンドラと自分の客席が おなじ高さで、同じ目線になったこと。 あれは地味にうれしかったです。あぁ、ちんまい人が黒いぴらぴらコートをなびかせぎゃおぎゃおと吠えたり うねうねと腰を振っていたり目も当てられない状態だったりしました、笑。 あと、kenちゃんが意外とシュっとしていて小さく見えたこと、笑 この日のMCではkenちゃんの名言も出ました。「さわれないおっぱいはおっぱいじゃない。」 ちいさいとかおおきいとか関係ないんです。さわれないとだめなんだそうです。 (どこかの国でおっぱいを芸術的に見せるショーを見に行ったけど途中でねてしまったらしい。) ユキヒロさんはご乱心でサブステ破壊したのちご満悦になり、帰りのゴンドラではくるくる糸巻ダンスを披露。 kenちゃんが後ろでワイパーダンスというUSJのエルモとダンスの布石となったのがこの日でした。 そんなこんないろいろあったわけですが、日産で一番印象にのこったのはやはり「Pieces」 この日は、身内がこられていたそうで。 たしか、kenちゃんが下ネタMCに入りそうになったところを「それはあかん」と制止してましたよね。 そこはかとなくとーちゃんの雰囲気をだしつつも、「Pieces」を歌うhydeさんは、 どっちかっていうとかーちゃんでした。 マンマでした。マザーでした。オカンでありおかーさんでした。 あ、れええええええぇぇぇ? 子供がもうある程度の年齢になってるからいいけど、これがまだ物心つく前で、 あのハイドさんと奥さん並んでたらもうとーちゃん誰やねんどこやねんなんでかーちゃん2人やねんって きっと頭が混乱したに違いない。 っていう冗談はさておき。 いい曲になったなぁと思いました。ひさしぶりにライブで聞いて。 この曲がでた当初、おなじ部活の女子が「これはめっちゃ名曲や・・・!」って感動してたのを横目に このぐらいの歳の未婚の人が歌う慈愛の曲なんて胡散臭いし薄っぺらいわね。って白けてました、笑。 ちなみにこの時私中2。単純に世の中の売れてるものが嫌いなあまのじゃくでした。 真実味にかけてたし、PVはやたらとお金かけて壮大に作っていたのも鼻についてこの曲の良さは そういったものに隠れてみえませんでした。 2000年の頃はどうだっただろう…、ライブで聞いてたはずだけど。 ダーク感満載のボンテージhydeちゃんが歌う「Pieces」なんて 「壊れかけのRadio」みたいなギリギリ感しかないよね、うん。よっぽど「a silent letter」のほうが しっくりきてた。まだまだしっくりきてなかった。 曲がでて10年以上の歳月を経て、あらゆる苦楽を全うしてきた人がさしのべる歌は 本当に「慈愛」に満ちていて、それだけで、ああもうよかったなぁ・・・と自然に涙がでるものです。 ライブを通してほんの少しでもhydeさんの人生が垣間見えそれがよいものだとうれしくなる。 ラルクのライブはもう、それぞれの人生の一片をもらいにいくような気分にまで達している。 だから、その、ラルクの歴史における不安定な時期はそれはそれでおいしい。 「泣かないで、泣かないで」と歌う声は、語りかけるように。 きっと本当にそう声をかけていたんだろうなと。今でも声をかけているんだろうなと思うと 涙がちょちょぎれます。 「あなたがいるからこの命は永遠に続いていく」 同じ目線でhydeさんを見たとき、本当にこの地に立ってる人なんだなぁと実感して。 と、同時にいつか消えゆく人でもあることがさみしく、でも、その命をつなぐ人が確かにいるんだという 安心感が、この歌詞を聞いた瞬間にぶわっ!っとでてきました。 この曲が初めて自分の身に染みた瞬間だったんだとおもいます。 この未来を10年以上前の彼は予想していたのかなぁ。 いつだって「偶然」とも「必然」ともいえない「奇跡」がどこかに落ちてる。 この日の日産でも、それを感じずにはいられませんでした。 私にとってのお祭りだったUSJ編に続く。