one day I remember

今思うこと、ある日いつか思い出す、その日のために

企業努力するラルクアンシエル

バレンタインデーはいかがお過ごしだったでしょうか? わたくしは売り場の撤去作業とひなまつりの売り場にきりかえておりました。 こっちだって女の子のおまつりです!我が家は律儀に毎年父が出しております。仏間に。 さて、2月も半ば。ラルクさんのアルバムとともにしんぢさんが生まれた何ともめでたい2月8日は 私の勤め先の店も改装オープンで大賑わいでとっても…たいへんでした。 しんぢさんは今年もお宅に襲撃されて、Bistro男子(ゆうやさん)にごちそうになって、 小池さんにピアノ弾いてもらって幸せそう…じゃねぇし。 なんだろう、同じ祝ってもらう形だった明希ちゃんと比べると、 ちょっと哀しい男の背中が見えちゃうのはなぜ? …それはきっとぢオタが彼の人としてのごく自然な幸せ(リア充)を願っているからでしょう。うん。
BUTTERFLY(通常盤)BUTTERFLY(通常盤)
(2012/02/08)
L’Arc~en~Ciel

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ラルクさんのアルバムは車の中で絶賛リピート再生中です。 ファンの方にはちょっとものたりない、未発表曲3曲+初音源化曲1曲という まぁ、バンド歴短いバンドにしてみたらもうベストアルバムみたいなアルバムなわけですが。 それを感じさせない内容の濃さがありました。ドキドキ感より、充実感が勝った感じ? 1曲1曲が丹精につくられているのがよくわかるし、久しぶりに聞くシングル曲が 曲順のマジックにかかることで単体で聞いていたころより意味をもって、よりよく聞こえるんです。 よく、ライブで聞くと好きになる曲ってあるでしょ?あれを、アルバムで体感できるんです。 顕著なのは「SHINE」ですね。「wild flower」で咲いた一輪の花に「SHINE」が始まった瞬間 光が降り注ぐ画を感受性の高いラルオタさんは容易に想像できるでしょう。 明るい曲で涙が出るってなんか幸せだなーって思えるよ。 暗い曲や失恋の曲で涙を流すなんていくらでもできるんです。ひきこまれやすいんです。 それでも、暗にそこに行かない、「POPでありつづけることがかっこいい」と 信念をまげないテっちゃんがいるからこそですね。あとはhydeさんも。ありがたい。 で、またそこからネクサスにつながるんでしょ?まーさーか、意図せずしてこうも現状と 密につながった流れができるとはね。 今、作るものってどうしたって思いが込められすぎてまともに曲をきけるものじゃないと思うの。 違う時代に、「いつの時代でも通じる喜怒哀楽をこめた曲」を作っていたから、 今こうして、その中から今に通じるものに気づいて感動できるの。それがすごい。 毎度のことだけど、ラルクには意図していなかった意図をたくさん含んでいて、 聴き進めて行ったり時代に応じてそれが花開く。それが魅力なんです。 曲単体の好みで申し上げると、ユキヒロさんの曲が好きです。イントロで一番ドキドキした。 随分と中身がある…というと語弊があるかもしれませんが、血の通いやすいメロディアスな 曲を作るようになられたなぁと思いました。hydeさんとの共作を何度かやって、 そこから得たもんでしょうかね? ユキヒロさんがこの曲を歌うhydeさんに「感情入れるな」という指摘を下したのも なんとなくわかります。だって、感情たっぷりにうたったらこれ歌謡曲になるよ。 危ない危ない。ちょっと「LOST HEAVEN」にも似てる気がする。あの曲好きなんだー。 ここ1、2週間はプロモーションも活発で楽しかったですねー。オンタマみれてないけど、泣。 NHKテレビ朝日は、毎度のことながら丁寧に取り上げてくださいますね。 それからカエラちゃんのCMに、いろんなアーティストからのメッセージ。 こういうのがうれしいよね。まぁ、レーベルメイトっぽいけど。 実際聞いてたと思うのよ。今、私と同じ世代のアーティストは。一時期、どこかで好きだったはず。 けど、どこかで匂うのよね。ミーハーっぽいとか、オタクっぽいとか、ポップすぎるとか、 アーティストが胸張って好きというにはなんかかっこ悪いっていう雰囲気が漂ってた。 それが、20周年でようやく晴れてきた気がするの。 やっとこさ、いろんな方面から認められたのかなぁって。 でも、認められた瞬間、大御所のおじいちゃんあつかいされてもこまるけどね。 NHKの特番やら、HYDE本を読んでて思うのはテっちゃんの強さ。感心する。 一時期、ほんとうにほんっとーにテっちゃんがひねくれまくってネガティブホロウまきちらすなー! ってブチきれそうになって時があったんだけど(2005年) HYDE本を読んだ今となっては、無理もないなって思えるわ。 hydeさんがラルクにたいして本気でナーバスになった2001年から2003年、 それを、一対一のミーティングでなんとかつないだテっちゃん。 2004年は、そんな影を見せないようにめいっぱい笑顔で走り抜けようとしたテっちゃんと 「これで少しは何か変わるんでしょうね」って若干傍観者の立場になったhydeさん。 それが、2005年になって折に触れてhydeさんが活発になったでしょう? 戦後60年に天からのお告げがあったのかはたまた死を悟ったのか、メッセージ性が強い hyde色の強いアルバムとLIVEをラルクで披露し、結果その時ファンから絶大な支持を得たわけですよ。 これは今までにない素晴らしいアルバムだと。私もそりゃびっくり感動したさ。 それによってテっちゃんわけがわからなくなっちゃったんじゃないかしら。 hydeさんの影響力のすごさは分かっていたけど、自分ががむしゃらにやった時とのあまりの 反応の違いに。 しかも、このとき私たちはhydeさんが1,2年前にラルクに対して1番ナーバスになっていたことを しらなかったから、勝手にテっちゃんが1番ネガティブになってると追い打ちをかけるように 責めるばかりで。もう、自分って何なん?裏方でいいんか。って半ばやけくそに そう自分に言い聞かせてるようなインタビューもありましたね。 「王様の耳はロバの耳」じゃないけど、 「君らものすごいhyde絶賛してるけどこの人ちょっと前にラルクやめようとしたんやで。」 って穴があったら叫びたいぐらいだったかもしれませんね。 穴がなかったから、自分に風穴あけてため込んで、調子悪くしてたね。 「SMILE」と「AWAKE」は今にして思うとhydeさんとテっちゃんのバランスがすごく悪い へんてこりんなアルバムなのかなーと思います。 と、同時にこの2人のバランスがなりたってこそのラルクなんだなーって 最近強く思うようになりました。テっちゃんとhydeさんは屋台骨でありエンジンであり方位磁石である。 kenちゃんやユキヒロさんは風であり波でありエンジンフィルターであり モチベーションを上げる音楽家である。 4人に聞いた「これからのラルクアンシエル」に対する答えでもそれが顕著にわかる。 「危機感を持ってすすめていくことがたいせつ。」と先を見据えるテっちゃん。 「これからも変わらず楽しいことをやっていくんじゃないんですかね~」とkenちゃん。 「続けていけたらいいなーとおもいます。」とゆっきー。 「ちゃんと話し合えば続けていける。」とhydeさん。 動かそうとしてるのはやっぱり2人。乗っかって追い風になるのが2人。 屋台骨としての苦労はおんなじで、hydeさんとテっちゃんはもうそれを分かり合えてるんだろうと 思います。っていうか最近お互い言うことが似てきたんだよ。奇跡的に。 全く違うタイプだと思ってたのに! だって、ラルクつづけていくのもお互い「しんどいけど次の電信柱まで」っていう表現してたし、 hydeさんが「ラルクはもう1企業みたいなもんでいかに生産性を上げて曲をつくっていくか」っていう 話をしている中、テっちゃんの「いつまでもあるとおもうとおもわず危機感を持って次に進む」 っていっているまさにそれは企業家の理念そのものなわけで。 通じ合ってんなー思わずには入れれない、笑。もちろん、昔から「ファンとの距離感」や美的センスで 通じるところはあっただろうけど、ラルクを「企業」としてみているところまで一緒になったね。 やー、最近のインタビューみてると「企業努力」って言葉がはなれんね。 小さいころから、「なんで無理をして利益を増やし続けなければいけないのだろう。 1年1年ある一定の利益がえられるのであればそれでいいのではないか。」って思ってて。 これをバンドに置き換えると、 「なんで無理してメディア進出して新規ファンを得なければならないのだろう。 固定ファンの前で好きな音楽をやってそれで喜んでくれるならそれでいいじゃないか。」 っていうことですよね。 これが、衰退への1歩になるんですよね。この、固定の利益だったりファンが いつまでもあると思ってはいけないと。人はいつか飽きる。昨日まで好きだったものが好きじゃなくなる 昨日まで買っていたものを買わなくなる。 新しく利益を得ればメーカーさんからよりよい販促や売価を得られそれをお客様に還元できる。 新しくファンを得れば、その人たちがもたらすものが新しい制作へと導く、 また、増えた利益でよりよい演出と音楽を提供できる。 才能ある芸術家も企業家もそして一般社員も、「努力」なしには続けられないということ。 就活みたいなお話になりましたなー。なんか使えないかな、笑。