one day I remember

今思うこと、ある日いつか思い出す、その日のために

出し切った人と出てれば楽しい人。

  あの、その、shinjiさん。 ものくそ趣味悪い金持ちのおっさんみたいに形から入るのやめてえええぇぇぇぇぇぇ! アーバンスタイルには王室御用達のキンキラキンじゃなくて、だれだれさんがデザインした 洗練された形と色のモノトーンなやつがよろしいんではなくて・・・? たまにこの人のお金の使い方が80年代後半から90年代前半のそれになるからひやひやする。 ひやひやしたところでどうなるわけでもないけど。ないけど心配。 将来的にぎらぎらした金持ちの性格悪いおじさんになったら嫌なのです。 スマートでさらっといいものを使いこなすロハス(ちょっと古いか)なセレブでいてほしいのです。 銀座・六本木ではなく西麻布・中目黒・神保町が似合う男でいてほしいのです。 ん、それだと石田純一とか中尾彬コースな気が・・・。
音楽と人 2010年 08月号 [雑誌]音楽と人 2010年 08月号 [雑誌]
(2010/07/05)
不明

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ホラーの映画かゲームのパッケージかと思わせるような表紙がどーん。 こんな表紙きっとUSENは許してくれなかったと思う。正直。 が、ですね。めでたく、晴れて「音楽と人」が正式に株式会社になりまして。 金光さんが「編集長」から「社長」へと変貌を遂げました。おめでとうございます。 まぁ、自由にやっていただければ本当幸いです。今回の表紙のように。 デングルファンは全力で貴社のスポンサーになりますので。 ですがギターロックファンを見捨てないように、ほどほどに、ね。 邦楽ギターロックとビジュアル寄りのロックとの架け橋になれるのは いまの所、この雑誌とたつろうさんだけだと思ってるから!そこんとこよろしくお願いしまっす。 どの立場にいてもやることいっしょ、一生懸命なのは一緒ってこと、その人柄をつたえるのです。 で、麗しいハイドにまず目を奪われました。めがぁ~!めがぁ~! 先月号買ってないんですが、先月の残りをぺっ!っと貼り付けられてました。 それがなかなかのとっておきのどんぴしゃ写真だったので、 先月号かわなかった私グッジョブ!と思いました。 この見開き2ページのハイディで十分このお顔のハイディは堪能できる!!! さて、インタビューなのですが金光さんも今回のアルバムに対して「死の匂いを漂わせている」 と感じており、その話になったわけですが そこでハイディがまたおじいちゃんみたいなこと言い出しましたよ。 「もう自分の人生ちょっと終わってる」「もう死んでもいいくらい」って。 読んだ瞬間「死ぬなよ!笑」って盛大に突っ込みました。 いーやーだー!せめて死ぬならライブん時に剥製化してさいぃぃぃぃぃ。 こっちはやんわり老いるのだって楽しみにしているんだから その楽しみ奪うんだったら肉体の時を先に止めて天然記念物化しなさいな。 それぐらいせんとハイオタの気はおさまらんぞおおおおおおおおおお! や、死なんとってください、まずは。ってかそんなこと言わんとって。思っても。 この音人を買った日に「踊る3」も見てまして。で、今回の踊るも和久さんの死が絡んで けっこうテーマとしてがっつり入ってるんですよ。なんで案の定あれこれうだうだ考え込みまして。 なんていうか、まぁ美化したくなる気持ちは分からんでもないですが いつまでも引きずられるのはやっぱりよくないことのように思うのよ。 心の中で生きてるとかいうけどいつまでも心の中でその人を生かせていたら、今生きてる人が どんどんないがしろにされていくような怖さが絶対ある。 だからどんどん「生」に魅力がなくなって「死」がどんどん美しく見えてくる。 それもまた影響力が強くてきれいかつかっこいいハイドさんが迂闊にそんなこと言っちゃうとね・・・。 いうけど、まっとうしたからこそその死は温かく迎えられるもので、みんながみんなそんな 幸せに迎えられるもんじゃないよ。寂しいまま、つらくて苦しいまま死ぬ人のほうが圧倒的に 多いはずなんだよ。そしてその人たちはそこからもう何も覆せないんだよ。 だから、あくまで悲しいものだということをベースにおくべきだと思うんだ・・・。 なくなった人が生きてる人より尊くて生きてる人より絶対正しいなんて思いにとらわれてはいけないよ。 亡くなった人が生きるというのはその人が持っていた技術や思いが生きている人に継がれていき、 なんとなく寄り添うだけであって生きてる人を縛り付けるものじゃない。 生きている貴方が死んでしまった貴方よりも数倍魅力的であり多大な影響力を及ぼすことことを忘れないで。 なんて、東尋坊いのちの電話BOXにかかれていそうなメッセージをぽろっといってしまうぐらい 滋賀スイッチ(無駄に熱く語るスイッチ)が入ってしまいましたが結構マジな話。 なんか、ムカムカすんの。自分もついそういうのに引きずられるから余計にムカムカすんの。 コメットさんの件がそうね。私何度書いたことかね。 いい加減、彼がいなくてもステージはしっかりと成り立つことを私は認めて次に進むべきだ。 今生きてる人が確実に素敵なものをもたらしてくれる。 まぁ、胡散臭い話はおいときまして。 死ぬまでにはいたらんでもこのままだとハイド隠居コースが予定よりかなり 早くなってしまうのでは・・・!?という危機感がせまっております。 ラルクがはじまればまた新しい何かを得られると思うので、はーやーくラルク動けぇぇ! そしてkenちゃんは一刻も早くハイドにJOYをあたえてください。 ハイディは求めることを強かにちゃっかりと手早くやりすぎだ。もっとゆっくりペースでいいのよ。 ハイディは思ったことやりたいことを結構思うがままにできる立場だからいかんのよ。 彼に壮大な人生のトラップが必要かもしれん。もっとあがいてもらわねば。 そういえば、10年前ぐらいってちょうどラルクやりつつあのしっとり重厚なソロ活動への思いが あった時期ですよね。で、あのアルバムが出たときインタビューで 「こういうアルバムは10年に1回ぐらいだ」っていってましたよね。 ・・・、えぇ、ちょうど十年です。オリンピックイヤーのごとくハイドご隠居イヤー到来なのか!? そういうタイミングなのか?1,2年ラルクしたら今度はVAMPSではなく クラシックHYDEが拝めるのかもしれません。それなら許す。仏像は彫らんでよろし。 で、ちょっと気分がずーんとなった後に次の見開き見て、ぽかーんとしました。 アヒルボートにのるいかついサングラスしたkenちゃん(本人たっての希望)。 これ、画質をものっそあらくすると70年代っぽくなりませんか? サングラスといいアヒルちゃんの公園といい。 しかしこの人の人生の楽しみ方はお手本にしたいぐらいだね! 悩んでて当たり前と、孤独感やらなんやらに襲われつつも、 できれば楽しい方がいいからと楽しいことへどんどん突き進んでいこうと意気揚々取捨選択してく。 喜怒哀楽の割り切りのよさがいい。うらやましい! 方程式で答えが見えるとげんなりするkenちゃんも愛しい。 これは私の感覚なんだけど、たとえばぷよぷよやっててこういう組み方をすれば10連鎖になるっていうのを マニュアルとして教えられて、それを繰り返してやるだけのゲームになったら 私の中でつまんなくなるんですよ。 あくまで自分のひらめきですすめていきたいし、ぷよぷよにおいては「こうやったら10連鎖ができる」っていう 答えを明確にしないまま「こうすればひょっとしたらすごい連鎖になるんじゃないかな」ぐらいで わくわくしながらやっていたい。たまに奇跡で連鎖になるから楽しいんですよ。その驚きを大事にしたいの。 っていうのとkenちゃんの音楽に対する驚きを求める姿勢って意外と近いんじゃないかと思ってます。 kenちゃんは、「こうしたらこの曲はミクスチャーになる」とか「激しい音っぽく聞こえる」っていう フレームをつくりたいわけではないし、そういうフレームが見えてきた時点で手放す人。 今一瞬きらっとしたものが見えた!ワクワク!をお届けしたいんだよね? 己の感情に大しては構築的に考えるわりに表現に対する理想は構築的なところと間逆にあるのです。 そんなところがすき。 しかしこんだけざっくりしてる人がよくラルクの細かい人と一緒にやって行けるなぁとつくづく思う。 いくら幼馴染だからっていっても・・・。あ、kenちゃんにはその細かいところをつめる姿勢すら 己にはないものとして「新鮮」にうつるんだろうか。ならばラルクは無敵である。