one day I remember

今思うこと、ある日いつか思い出す、その日のために

拍手お返事。

拍手ありがとうございます!少々胡散臭いぐらいのまじめな話に定評があるっぽいこのブログ。 重々しくならない程度にこれからも邁進していきますぜ。 さー、明日は休み!書く、書く、書くぞおおおお! では、続きでレスです。 >春菜さん コメントありがとうございます。 前は、自分の思いと同調して足りない言葉を補ってくれる人がよかったんですよね。 自分の思いに深みを与えてくれる人が。もちろん、今でもそういう文章に惹かれることだってあります。 そうですねぇ、十人十色の意見がおもしろいと思えるようになったのはきっと 社会人になって好きなものにばっかり囲まれなくなった今だからこそ言えるんだと思うんですよ。 学生のころって誰にも何にもとがめられなかったから好きなものと、自分だけの感覚というものに焦がれて 深みに嵌ってましたけどねぇ。他人には気づきもしない自分の小さな感性の変化をものすごく大事にして 特別扱いしてたけど外出ると、こっぱずかしくなるぐらいまわりからは何も変わってないように見えるんですね。 で、好きなものばっかりに囲まれてたら意見は深くなるけど狭くなる一方な気がして そんな自分が今はつまらんと思うし、きっとまわりもつまらんだろうと危惧しております。 自分だけのものを自分だけで追求するのってすんごく実は面倒くさくて、案外他人を介入させたほうが あっさり自分のことがわかったりします。 ただ、自分を否定されるのが怖くて怖気づいちゃうんですよね。 自分が誰かの思いを肯定するのも怖いんですよね。理解に苦しむことにも出くわしたくないんですよね。 たぶん、今は、極力。だから、ミクシははなっから自分好みの輪に入るもんね。 私はそれが好きじゃないというのもあってミクシをするきになれないんですよね。 理解、っていうより認識程度でいいんですよ。 わかんないもんはわかんないですからね、人の好きなものなんて。 わかろうとすると自分が磨り減ってくだけなんで、わかんないのがおもしれー!って思えればOK。 わかんないけど、あの子がああいってたから気になってきた。気にするようになった、そしたら好きになった。 っていうこと、たまにあるんですよねぇ。 誰かの意見を受け入れるのはけして自分を0にすることじゃないんですよ。 自分を一つ譲るだけ。もらった1を自分に反映させてやっぱり最後には自分になるんですそれすらも。 ぎゃ、これ、お返事じゃないレベルの長さになってしまいました。 最近はシドシドシドー、なブログでほんとこればっかりはすいません。 モードを切り替えるという所作も不自然なのでこれからもこのような感じでいきます。 また、お時間があるとき、胡散臭い説教が気になったときにでも(笑)、いらしてくださいませ。