good-night to you
あ、ごめん。寝なきゃいけないのに。
寝なきゃいけないのに、お休み前にHYDEみようとおもって子守唄にと思って
you tubeでこの前のMステの映像見たらじわーっと涙でた。
このままあったかい気持ちで眠れそう。でも、やっぱり書かせてね。とめられないの。
こうね、最近シドっちゃん好きになって若気の至りだといわんばかりに、
高校生~大学生初期にこのんだ妖しくてキャピキャピしててエロかわいいものに飛びついたりも
してたんだけど、あのMステのHYDEちゃんみたら妙に心が洗われた。
あぁ、「ただいまー」って感じ。
お帰り自分、お帰りしわがれたいい年こいたオッサン好きの自分カムバック。
なんなのかしらね。とてもじゃないけど10年前だったら想像もつかないよ。
HYDEみて心が洗われるなんてこと。邪気が漂うとかじゃなくてよ?
不思議なもんだなぁっておもう。
だってさ、hydeさんが結婚するってなった時、「嫌だなぁ」って思ったひとつの理由に
「歌詞が人間味と丸みを帯びてしまう」っていうのがあったと思うのよ、誰しも。私だってそうだ。
とんがったhydeやら人間じゃないhydeがみーんな好きだったの。
だから、こんな歌詞がいつかでてくるんじゃないかって、それを危惧したはずです。昔。
でもなんのかんので順応してるよね、今。子供のことを想う歌詞を見て、げんなりするんじゃなくて
親戚のおばちゃんのごとくうんうん、そうだねいいパパだねと肯いて聞いている自分がいるよ。
それは、自分らもまた歳をとって丸くなったっていうのもちろん考えられるし、
たとえ彼が人間的にも体系的にも丸みをおびたとしても、それでも「hydeは特別な何かをもった存在」であるという「信用」を彼が常に証明してきてくれたからこそ、今納得できるんじゃないかなぁ。
「ある一人の人を想い歌う」というありがちな設定・事象も彼の世界に入り込めば
そのどこか遠くを見ながら歌う姿勢が尊く見える。
その瞬間距離はぐっと遠く遠くなって彼が「特別な存在」になる。
こちらに向けられる視線ではなく、遠く「誰かを想う」視線がたまらなく愛しい。
それを遠くからみていたい。
だから、報われないのがすきなのかもしれないなぁ(2つ前の記事参照)
ありきたりも特別になる。
何気ない言葉も魔法になる。
だから変化球はいらない。
語感が大切なのではなく、それを発する息遣いが重要なのだ。
マイクにやさしいキスひとつ。
たくさんキスしてあげてよ。帰ったらさぁ。