one day I remember

今思うこと、ある日いつか思い出す、その日のために

ルージュ追記。

私は映画フリークでもなんでもないただのミーハーです。 映画を見れば大体そこにでてきらりと光っていた俳優さんに1週間ほどどっぷりはまる感じです。 社会人になって見に行ってる映画のほとんどがドラマが映画化したものとか原作ありきのものとか とかく、邦画ばっかり、です。 社会人になってからの「2時間」っていうのがすごく貴重なものになってきまして。 休日の昼、「2時間」拘束されることがどれだけ大きいことか。 1時からみれば3時、その後お茶してもう夕方、3時から見ればもう夕方、1日終わりです。 かといって朝イチでみにいくほどしゃきしゃき朝から動くのもなんだかなぁ・・・です。 ね、映画見るってすっごく「賭け」なんですよ私にとって。 だから、昔はそれこそ単館上映もののものっすごくけだるーいマイナーな映画とか、 しょーもない映画見てもそれはそれで自分の肥やしになるって信じて見てましたけど 今じゃあはっきりいいます「2時間返せ」。 雰囲気が大事とか空間を読み取るとかかっこいいこと言って逃げんな。 そういうのはもうあわないんです。私には。 だから、邦画なのかなぁ。 あんまし考え込まないスカっとするアクション映画が好きだっていうおばの気持ちも分かる。 で、私にとって映画っていうのはその2時間が「長く」もなく「短く」もないこと、 そして「軽く」もなく「重く」もないこと、見る前と見た後で自分が劇的に変わらないこと、 私の人生に影響を与えない程度の支障を残すこと(俳優にはまる程度)、これらが大事になってきます。 その2時間だけ私を現実から放して、「楽しかった」と思わせてくれればそれでいいんです。 テーマがどうの、社会派がどうの、芸術がどうの、批評するために映画見てどうする一般人が。 それだけで楽しくなくなる。 私が一番嫌いなのが原作にとらわれる人。原作はこうだったああだった、物足りない。っていう人ね。 逆に原作と一緒過ぎて批判する人もいますよね。もうどっちもどっちだと思います。 本と映画の得意分野は違うんです。だから作家と映画監督がいるんです。 それって単なる欲張りなだけじゃないかなって思ってます。 原作ありきのものは原作見ずにいってあとで補完するために原作見る方が楽しめますね。 ただ、最初置いてけぼりになるのがいやな人はウィキで軽く下調べして見に行くとか。 さて、「ジェネラルルージュの凱旋」。医療ミステリーというわけで、ミステリーは私にとって ベストな映画だと思うんですよねぇあとくされのなさが(謎解きの疑問が残りさえしなければ)。 ただ、医療の現状を訴える、という点でちょっとひっかかっていて2時間、重いなぁ・・・と ちょっと肩に力はいった状態で見始めたわけですが、難なく見れました。 「あーよかったぁ・・・」と陶酔状態で映画館出てきたいい2時間でした。 まぁ、真剣なところは真剣なわけですが、とらわれたのは医療現場の過酷さより俳優陣の演技です。 堺雅人の迫真の演技に「うわぁ、医療の現場って大変だぁ・・・」じゃなくて、 「うわぁ、この人かっこいい・・・」が勝ったことがよかったわけです。 ね、ミーハーでしょ。 あ、山本太郎とのコンビネーションもよかったなぁ。体育会系と頭脳派の組み合わせ。 同人的にも立派な萌え要素として使え、る・・・     すいません。 そんなこんなで次は「ホノカアボーイ」でも見に行こうかなぁ、と。ちょっとほのぼのしすぎか。 あと、「アフタースクール」を借りて見よう。