one day I remember

今思うこと、ある日いつか思い出す、その日のために

にくまれっこよにはばかる。

  ボブになりました。 名前が。 いえ、髪型が。 さんざっぱら美容師さんに「後悔しませんね!後戻りできませんよ!」と念押されました。 春先はね、やっぱり髪切る人多いみたいで。で、1週間ぐらいして飽きる人続出らしくて。 プレッシャーあるみたいですよ。長い髪をカットするというのは。 あとは、初めて応対する人にいきなり「私パーマかかりにくいんですけどパーマかけたいです。」 っていうむちゃぶりされんのも相当プレッシャーらしいです。 特に熱処理してる髪(縮毛等)はどうしようもないと。 それから、痛みまくった髪で「パーマかけてください」とか、 女性の変身願望に髪質がついてこないのを、己の技術でどうにかしなきゃいけない美容師さんは 大変です。皆さん、どうぞお手柔らかに。傷つかない程度に注文してください。 幸い、今の自分の髪型気に入ってます。まだ1週間たってないけど。 自分の頭の形から考えてこっちのほうが合うっていうのは分かってるんだけど、 どうしても小さいころショートカットにしかしてもらえなかった反発で ロングヘアーでいたいという思いも強くあるんですよねぇ。 そうそう、ユッキーが小さいころコーラ飲ませてもらえなかったようにね。 さ、話は変わりまして、ハイド日記。もといキツネ丼話。 画像-0145
最近みつけた隠れ家的カフェ(上写真参照)にて、初めてキツネ丼の記事を見たときは、 そのカフェの居心地の良さとあいまって、 「あら、ハイディが(おそらく人様のブログを参考にしたであろう)技巧を凝らした文章を書いてるわ。 なんだか新鮮ねぇ。」なんて余裕かましてたんですよ。 まだ、ね、そこまでエスカレートしてなかったっていうのもあってほほえましぃくみてました。 が、回を増すことにその恭しいまでの文章が今度は鼻についてイラっとしてきてね。 3と4ぐらいがピーク。なんかいまいち状況がつかめないところもあったりで。 (出前をとりにいくのはマネージャーなのにハイディがなぜか玄関に向かうところとかね) テーブルの上に何もなかったことを詩的に語るあたりや、 出前がきたことに確信を示す文章のしつこさとか、勝手な定説を入れ込んでる辺り等、 一瞬「この人なんでソロになるとこうなるの・・・」と思って、眉間にしわ寄せため息をつきたくなるぐらい 本気でイラついてまして。ハイディにこんな感情抱くの正直初めてですよ。 が、ですが。 その感情に転機を迎えたキツネ丼7の6。 きっかけは「小春日和」。 えーっと、この言葉は勘違いされる語句としてしばしばとりあげられますが、 もちろんこれは春の暖かい日和を指し示すものではありません。 もとから春の気候である今日の日和に、「春」と名づけるなんて邪道です。 これは冬のはじめに時折訪れる穏やかな暖かい日のことをいうんですね。 それをまんまとハイディは今日の春のやさしい日差しに対して使ったんです。 まぁ、「違ってるかもしれないけど」ってあとで書いてるあたり、 違うんだろうなっていう自覚はあるみたいですが、ね。 これまでかっこつけて書いてきてね、ふ、っと画的にかっこよく窓の外の景色を眺めるなんて 描写書いて、でた。「小春日和」。 ここに、「かっこつけてるけどどこかぬけてるハイディ」、「完璧のようで完璧じゃないハイディ」、 そして意味がちがってるって気づいてるけど意味をとるより、いかに今の景色に「小春日和」が 似合ってるということをとってあえてその表現を使ったハイディの暢気さ、穏やかさ。 あーこれこそハイディなの!私が好きなハイディなの! どんなにかっこつけてもそこは隠し通せないのがあなたのいちばんのぶきなのよ! 冷え切っていた私に一筋の日差しが舞い込んできた。あー春ですねぇ。 そうそう、こういのを「小春日和」っていうのかしら。たとえ違っていたとしてもそれでいい。 もうね、そうなったらこの恭しい文章もブログ女王ばりに書いてやろうじゃないかと ハイディが一生懸命考えてでた結晶であって、 その魂胆と過程を想像するとわいらしく見えてきました。 そう、大人の必死な姿はかわいいものです。そして私は単純。 と、いうわけで。 今日は私もハイディに見習いまして、多少ではありますが たぶん読んでる人には多少イラつくであろう恭しい表現をたくさん使った文章でお送りしました。 お粗末。なむなむ。