one day I remember

今思うこと、ある日いつか思い出す、その日のために

物思いに耽る

  ゴールデンウィークとは無縁のお仕事についてます、未褪です。 しかしながら3日はお仕事お休みでしたので、ちょっくら家族でスーパー銭湯いってきました。 最近そこの近くに新しいスーパー銭湯が出来、客がそちらに流れているようで お客さんが比較的少なく、且つ銭湯なのに風呂に長時間はいるお客さんが少ないため かなりの時間露天風呂1人占め状態。 日ごろ目の前の仕事で手一杯な為、最近1人でぼーっと考え事をすることもなくなっていた 私にとって非常に良い時間でした。 前日うっかり早く寝すぎたがために夜中に目が覚めそのあと眠れなくなって、 一心不乱に読みふけった本のこと。 ちょっと前に王様のブランチか何かで紹介されていた「新訳 走れメロス」 新訳、っていうと解釈をちょっと変えた、自分なりに解釈を加えたということなんでしょうが これはそういうものではなく、パロディです。 もっというと、大体こんな話だった、って事以外の部分はまったく別物の話です。 なので、文学に詳しくなくてもとっても楽しい。むしろ、大体こんな話だったぐらいの知識で 読むぐらいが、この作品に対して批判的な精神を持つこともなく軽い気持ちで読めていいです。 で、この筆者の本のもうひとつ特徴的なところはといいますと、本の舞台が京都であること。 本人が京都大学卒で、北白川に住んでいたため細かいとおりの名前や京都の情景を 細かく描写しており、京都の人間、京都ファン・京都通にはたまらないものとなってます。 ちょっと分からない人は京都のMAPを片手に読むと、よりリアルな情景が浮かび上がってきて 楽しくなってくることでしょう。京都通なら地図がなくても勝手にうきうきすることでしょう。 プラス、大学生活の懐かしさも感じられてまさに今の私にはぴったりといっていい本。 まぁ、私は京大卒でもないし、この本に出てくるような大層な腐れ学生でもないけれど 考えてもどーにもならないことを延々と考えているような、時間のある人間だけが出来る 贅沢に関しては妙にシンクロしました。そう、物事を深く、多岐にわたって考えたがるのが学生です。 えれーこと語りたくなるんよ。詭弁・机上の空論をたくさん。 「考える」といえば、部屋の整理をしているときに、高2~大学1年半ばまで 書き溜めていた詩のノートが見つかって読み返したんですけど、いやぁこっ恥ずかしいことなんの。 誰に、何に影響を受けていたかが良く分かって、 時々熟語と接続語のみの意味不明な詩があって、 一瞬捨てようかと思いましたが、いってしまえばこれが昔の私の日記だったんですね。 こうしてウェブ上で日記を書くまでの。アナログで日記を書いてた時期もありましたけど、 それが面倒くさくなって、詩だけを書き連ねることにしてたんですよ。 それを、だいたい大学1年の後期ぐらいまで。 だから読んでると多少意味不明でもニュアンスでだいたいその当時の状況が見えてくる。 やっぱり当時の自分の詩に関しては自分がよき理解者のようで。 こっから大学生活が始まったんだなぁ、とか、この詩はあの映画を見た後に影響受けたなぁ、とか サークルに入る前の大学1年の時ってもうぬけちゃってて空白になってしまってるので この恥ずかしくも懐かしいノートが初めて便利だと思えた瞬間でした。 一時期ものすごく大学が嫌で、まったく大学に行かなかった時期もあり、 もったいないことしたと思っていましたが、そういう時期があったってことも いい思い出というか、有意義で贅沢で必要な時間だったんだなぁと、 「新訳 走れメロス」を読んで思い直しましたね。 嫌なら嫌でいいんだよ、その気持ちも大切にとっておけば。 この筆者のほかの作品も読みたくなってきました。まぁ、兄が買ってきた本なんですけど。 もう一冊別の買ってきたらしいんでこれから読みます。 何より純粋にお話を楽しめるってことが良いですね。 ほら、よしもとばななさんの場合、表現が独特なだけに作中できらりと輝く表現を見つけたり、 一字一句解釈して飲み込もうと必死になるので時間はかかるし お話全体を楽しんでるって感じではないんですね。 けれど、今回のこの本はあー最後どうなるんだろう、とか何ページ先が非常に気になるという、 初歩的な楽しみがぽこぽこ生まれて結果すいすい読めました。 あまりにも早く読めてしまったものだから、そのいきおいで久しぶりに 「ユーターン」を読んで号泣。 もう、何度も読んでるのに同じ台詞、同じ描写でこみ上げてきます。 2年前の夏、どこにもいかずにひたすら丁寧によんだ記憶がよみがえってきました。 この本もまた、私に思い出をもってきてくれます。 さ、今日仕事いったら明日また休みだ。うっし。