つっけんどん
ラヴシュカのモデルがジュリアナちゃんじゃなくなったことにショックを隠せない未褪です。
ラヴシュカやマジョルカはお人形さんチックなメイクやモデルさんのイメージで
かわいくあやしいのが持ち味だと思うんだけれどなぁ。
わりとどこにでもいそうなお姉さんよりのイメージになってしまった感があります。
それじゃあ単にチープさが際立ってしまうよ。
イメージモデルがパフィーでその個性が引き出されるかと思いきや、
下手にお姉さんっぽくさせたのがパフィーを起用することの意味をなくしてしまったように思います。
マジョルカよりラヴシュカ・KATE、TUBAKIより一髪と資生堂よりカネボウ贔屓な私なんですが
SARAやラヴシュカのイメージモデル変更によって好みのズレが生じております。むぅ。
オセロの松嶋尚美が「きらきらアフロ」の企画で結成したバンド、キラーズの公式ブログにて
HIROKIの記事を見てはニヤニヤしています。
先月の22日にはHYDEバンドで忘年会をしたとか、お誕生日祝いをしてもらったとか
HYDEバンド情報もちょっと分かったりして。
いろんなバンドのサポートやったり人脈が広い人だなぁと思います。
そいでもってニコニコしてて。キラーズでは頼れる兄ちゃんで(何故かベースじゃなくてギターだけど)プロフィールの写真写りがすんげぇよくて(HYDEバンドで慣れたのか常に誰よりもキメている)。
あぁ、HIROKISTになっちゃいそう。
松嶋ちゃんは、34になってロックに目覚めたって書いてあるけど、服の趣味は
明らかにロックを好みそうな要素があって前からそういうの聴いてるんだと思ってました。
ハロウィンライブもいってたしねぇ。あれはHIROKIつながり?
逆に、ラルクファンの大半はオセロのどっち好きってきかれたら松嶋尚美っていいそうな気がする。
いまさらながらLE-CIEL会報の感想続き。
「Berry Merry Times」の全体的な体裁と若干デザインが「Hydeist Times」に似てますね。
「Hydeist Times」は毎号かなり満足させてもらっているので、これがLE-CIELでもできれば…
と、おもっていたのですがリニューアルに当たってそれが実現されるのかしら。
デザインはともかく、こう、ちょこちょこおいしいところをピックアップして
のせてくれるようなHydeist Timesのやりかたが反映されるのかな。淡く期待。
「WHAT'S IN?」の写真撮影はラニバの1ヶ月程前だったんですね。
私の予測と思い込みは激しく違ってましたね!じゃあ、あのやつれっぷりはなんだったんだろう。
リハーサルのつかれ?
ソファーで寝ているハイディ。この寝ている姿はいささか様になりすぎですね。
いつぞやのユキヒロさんみたいにファンにもらった枕に頭乗っけて毛布かぶせられて
すやすや眠ってるみたな無防備さがない。
リハーサルの様子、淡々と進めていく中にあるメンバー同士のつながりが愛らしい。
25日。kenちゃんはギターの練習の時いつもあの青いギター持ってますよね。仲よさそう。
ライブ終了後のハイディ、着ている動物柄のコートといい食いつきようといいケーキの大きさと自身との比率といい多少凶暴性のある小動物って感じ。
隣のクリームつけてにんまりしてるお顔よりこっちの写真のほうが好みでした。
26日。ネイビーのベロアジャケットをくるくる回ってみせびらかすハイディ。
彼は彼で若い女の子や男の子の影響を少なからず受けているんだなぁと感じた瞬間。
BBSでの書き込みといい、ね。ほんと、変なところで若い。
この記事見て以来、セール真っ最中のお店でネイビーのベロアジャケットを見るたび
ニヤニヤしてうっかり買いそうになる自分がなんだかなぁ…って感じです。
ユキヒロさんにまで「hyde君の歌がすごかった」といわせるあの時のハイディの歌声。
…聴けてよかったなぁ。
「何かが違う!」とあの時思ってたけど、やっぱり皆思うことは同じだったんですね。
ハイディインタビュー。「歌うことが楽しくなってきた」というMCもまた
印象に残ってる人が多かったようですね。私は心理的な作用のみを重視してレポのときに
コメントしましたが、ハイディ本人によれば物理的な作用が結構大きかったみたいで。
単純に、リハの時に歌いきることで自分の声を前以上にコントロールすることができるようになった
嬉しさが楽しさへ繋がったのかな。
kenちゃん。「コタツでフランス料理」、右脳からぽんっ!とそのままでてきたような言葉で。
このニュアンスはファンだけがピンときてつかめるものだと思う。
細かく説明しなくたって納得できてあったかくなるね。
ユキヒロさん。ここでもハイディの歌大絶賛。
ユキヒロさんのこの発言に目がぱかっと開いてコンタクトがおちそうになりましたよ。
そうそう、「飽きる」って一番危ないなぁって思う。
ラルクを好きになってからというものの、ワンパターンで、ある程度傾向(ファン・音楽性等)が見えて枠で囲われてしまったものは飽き、ことごとく捨ててきました。
あと、自分では唯一無二で変わってると思ってたものが一歩ひいたところから眺めると
セパレートボックスの1つに納まってる状態であることに気づいた時途端に冷めますね。
私の場合その典型的な例が「ゴスパン」です。
それそのものが唯一無二で変わってることにときめくのではなくて、
ある種の傾向を持ちつつも、芯を揺るがすことなく多種多様に変容することが
好きでいることの条件の一つとして確立しましたね。
あらゆる趣向の人たちが、ラルクの何かにヒットして、ラルクという母体に集まってくる。
ってことはそれだけラルクには形成する要素が沢山あるってことなんですよね。
そこがいい。飽きない。
なんだか、今日の記事はつっけんどんな感じになっちゃったからほどほどにしときます。