one day I remember

今思うこと、ある日いつか思い出す、その日のために

体は全部知っている

サークルでお話をしていると時折笑いの連鎖というものが起こります。 誰かの発言に全員のツボが刺激されて笑いが起こり、 畳み掛けるようにして誰かが言ったことがその前の発言とリンクして更なる笑いを引き起こす。 あの瞬間がたまらなく好きです。 たとえそれがジャンル外のことであってもです。 根がオタクなので引っかかるところはあるんですよ。 世の中は泣き映画とか本とか「泣き」を促すことに必死ですが 泣いてストレス発散するより笑ってストレス発散する方が私は好きです。 あくまで今の私の傾向として、ですが。 「笑い」じゃなくて「泣き」にストレス発散を求めるっていうのは、 ようは無理して、意識して笑おうとしたからでしょう? それにストレスを感じてしまって悲しみの方に今自分が引き寄せられてるから 泣いた方がよっぽど自然だと思って泣くんでしょう? だから、この場合「笑う」ことじゃなくて「無理をする」ことに問題があるわけで けして「笑う」ことに非があるわけじゃありません。 自然に笑える時があれば笑えばいいし生理的な涙ももちろん必要。 ただ、この「泣き」ブームも、泣くことを意識的に捕らえてしまう方向へと走って 結局「笑い」と同じように無理をしてストレスを感じてうんじゃないかなぁと思うわけです。 なんで泣くためにいちいち部屋を暗くして飲み物飲んで甘いもの食べてベタな韓国映画を 見る必要があるんでしょう?私あれが馬鹿らしくてしょうがない。 おっと、言葉が過ぎました。 眠れない時と一緒です。寝よう寝ようと思えば思うほど眠れない。 生理的な行動において無意識は私たちの混濁した意識よりはるかに利口です。 私たちはそれに後付をしていくだけであって先に考えることではない。 公序良俗に反するものを除いて。そのための理性だ。