one day I remember

今思うこと、ある日いつか思い出す、その日のために

15年の歳月

 
the Fourth Avenue Cafe the Fourth Avenue Cafe
L’Arc~en~Ciel (2006/08/30)
KRE

  買いましたよ。残念ながら通常版です。いい、それでもいい。音は変わらない。 タイムカプセルみたいなもんですよね。約10年、時効が来るまで足元に埋まってた 若くて青臭くてちょっぴり照れくさい音。 正直シングルの再販なんて、15周年記念リリースなんてソロでぽっかりあいた1年の埋め合わせ としか思えない私が今でもいるんですが、説得力のなさはラルカフェいってる時点で実証済。 曲自体が、秋っぽい、哀愁や懐古に浸るような曲調で歴史と相まって相乗効果抜群。 これ、本来なら97年3月発売だったでしょ?確か。 確かに3月は別れの季節で歌詞的にはあうかもしれないけれど、曲調がおもいっきし秋! 夏の終わりの寂しさや枯れた葉が散り吹き荒ぶ霜月を思い起こさせる。 だから、これはもう今出るべくして出た気がするんです。   ラルクに起こりうる偶然は必然。 活動にはあらゆるこだわりをもっていたテちゃん、ラルクですけどいつの間にか こだわりだと思わせるものが自然と寄ってくるようになってる。 繋がらないものなんてない。 リリースしたもの、行動、発言、矛盾、困惑、喜び、悲しみすべてが船に帰結する。 10年ではなく15年の意味もおそらくどっかで繋がってる。    「true」の歌詞カード見て思い出したんですけど、バックにスカパラ入ってるんですよね。 おぉぉぉぅっ!今思うとなかなか豪華な組み合わせ!!! ライブでやるなら是非生で演奏を!って思うんですけど スカパラも当時とは違って表舞台に立ってるからなぁ。バックで演奏というよりもメインだもんね。 この考えられない、けれどいい具合に年取ったオッサンたちの組み合わせが見てみたい!という超個人的な希望をネットの端っこで叫んでみる。 この時期のラルクさんって「哀愁漂うポップ」が売りだったと思うんですけど この曲もそう。哀愁漂うメロディに「ポップ」を与えたのがスカパラ。   D'ARKは思いの他かっこよかった!ACCIDENTの「oh…shit!」の部分が好き。 テちゃんはポップ!ってイメージが定着してるけど、 FLAのパワープレイで紹介してたバンド・曲はわりと美メロ+ダーク路線なものが多かったし あんまり作りはしないけどたぶん好きなんだとは思う。で、やると結構はまってたりする。         RRN読みました。インタビューと対談。 まず、インタビューの方ですが今回のぶっちゃけぶりは正直すっきりした!ありがとう。 歌詞でねちねち攻撃するよりこっちの方がずっといいよ。 けしかけた分100%はねかえしてくるあなたが好きです。売られた喧嘩は買う!みたいなね。 とくにユキヒロさんバッシングに関して「ひどいですよ!」以降の発言は愛らしくて愛くるしくて 今この場にいるものならばテちゃんとユキヒロさんをギュッとしたい衝動に駆られました。 ギュッとしておうおう泣きたい。 リーダーはやっぱり迷ったらいかんのですよ。自分が好かれる嫌われるは二の次で スパッと方向を定めていかなきゃならんのですよ。 自ら憎まれ役になるなんてなかなかできないですよ、普通。みんな臆病だからね。 よっぽどの対価がない限り。テちゃんにとってそれがラルクなんでしょう。 この人がいなきゃ駄目だ。当たり前のことだけどこの人いなきゃラルクできない。 重たい船一生懸命操縦してくれてありがとうね。 途中何回か座礁したけどそのたび起動してくれてありがとうね。 書いてたら涙出てきたや。珍しくこんなこと書くからびっくり涙だ。     対して迷いが出てしまったのがソロ。つらかっただろうなと思います。 ラルクの場合は自分が憎まれ役でも自分が下したジャッジによって ラルクがよい方向に転換するのであれば満足できた。対価としてラルクがあるから満足できた。 その対価が憎まれ役になることで生じる痛みより大きいからこそやっていける。 けれどソロは自分という存在を無視できない。 それは自分に対する相手の感情・イメージが作品に直結するからで、 ようは自分が愛されなかったら作品も愛されないという悲しい現実が待っているんです。 自分への愛情・嫌悪感だけでなくそれと作品への評価が絡んで自分に帰ってくる。 まさに、自分の身が足されたり削られたりするようなもの。 テちゃんも言ってますけど、どんなにバックがいたって 私たちに見えるのはほぼテちゃんだけですからね。 すべての評価を一人で受ける、否、プロジェクトそのものを評価されるということは 同時にバックの人も評価されたということになるから 一人で何人分ものそれを抱えなければならない。当然バックからの評価もある。 外からも内からも評価され受けた痛みが対価より大きくなり、 つりあわなくなってしまった、んでしょうね。     sakura君との対談。 内容的には「is」で読んだことのあるエピソードがちらほら。 あれ?酢豚じゃなかったっけ?角煮ってなんかレベルアップしてるよ! sakura君にとっての「ラルクの存在」の考え方が印象的でしたね。 ラルクにおける自分のしめる割合が3分の1が4分の1・・・ってなっていく様に sakura君の人生においても分母がどんどん大きくなっていくけど、 たぶん数直線状の線の長さが短くなってったとしても輝きは変わらないんでしょう。     私、97年当時のことは「事実」としてしか受け取ってない、 というかリアルタイムで知らないことに感情持ち込んだところで嘘っぱちなので 「事実」としてしか受け取らないこらないことにしてるんです。 だから、うーん、「感動した!」とか「よかった!」とかないんですよ・・・ なんだろうなぁ、私にしてみれば、何この二人の間柄当時そんなによくなかったの? ってなもんです。あっさり。後は、 テちゃんってば1998年~2000年の頃のこととか結構忘れちゃってるくせに こういった昔のことはこと細かに覚えてるんだなぁ・・・誰かに似てるなぁ・・・ あっ!ばーちゃんだ!亡くなった祖母がこんな感じだって年寄りかよ!  ってなもんで。 この二人の対談に「大人の会話」をとおりこして「年寄りくささ」を感じてしまったのは たぶん私だけだろうなぁ。うん。私だけだと思いたい。こんな失礼なこと。 感慨とか感動はない。思ったのはただひとつ。  風化させていい過去でも軽んじていい過去でもないけれど もう、この二人が並んでいる絵を普通に見たっていいよね。