「Come Closer」をこじらせる
「明日、また」がリリースされました。
本日、いい肉の日なので、ファン界隈ではお祝いで焼肉食べたりするんでしょうか。
うちは残念ながら今日は鍋になりそうです。寒いんだもん。
メインの「明日、また」は、もうラジオでもスペシャでももちろんCMでも、
あっちこっちで何回も流れました。
この手のはCDで発売される前に若干聴きあきてしまうもの悲しさもありつつ。
3曲目に収録されている「I don't Believe in you」もCMでながれたり、
CD発売前にフルオンエアしてくれたり、バッキバキにライブで盛り上がりそうな
ロックナンバーで話題にもしやすい。
その2曲に板挟みされている2曲目、「Come Closer」
これがどうも一癖ありそう、と発売前から気になっていました。
っていうか、インスタグラムの動画でかすかに流れていたあの時から、
このピリピリとした感じが私はもう気になって気になって好きになっていて。
ヨウジヤマモトのイベントにあわせて作られた曲で、
まぁ日の目を浴びているといえば浴びているんですが、
昨日のラジオでのフルオンエアまで一向に全貌が明らかにされず、
あまり洋平さんも嬉々として話したがろうとしない。
しまいには、「#comecloserはよくわからん」とハッシュタグをつけられてしまう
ちょっと扱いがかわいそうな曲。
きっと、今回のツアーでしかやってくれないんだろうなこの曲…。
って、若干の諦めが入っております。
この報われなさが私にはいつぞやの「Kiss the Damage」を思い出させるのです。
雑誌のインタビューを読んでわかったのですが、どうもだいぶ制作に時間と手間が
かかってこんがらがっちゃった曲みたいですね。
足して引いてゼロにしてもう一回はじめて。みたいな。
本人曰く、「拗らせた」と。
そう、だから私が最初にきいたパターンのあれからずいぶんと仕上がりが変化しています。
ぶっちゃけあのパターンがめっちゃ好きだった私はCDをきいて、
「どーしてええーえーえええええええええ!?」
と、ちょっとサカナクションを歌いそうになりました。
いや、好きですよ。完成版も。歌詞の雰囲気をとらえるならば断然こっちだと思いますし。あぁ、でも単純にかっこよさで行くならあっちだ…。
ということで聴き手の自分がいままさにこの曲を拗らせております。まいった。
そう、歌詞ね。
本人の意思で訳されていないので、私も英詞を雰囲気でとらえていますが、
とかく仄暗さを感じますよね。
井戸の底を見るような、真夜中に鏡をのぞき込むような。
「Come Closer=近づいてくる」って意味になりますが、
この近づいてくる「you」って
きっと「私」にとって近づいてきて欲しくない「何か」なんだろうなと思いました。
イントロのピアノのメロディが「何か」が忍び寄ってくるような感じがします。
あるいは、平面だった影が具現化するときの効果音みたいにも聞こえます。
その「何か」が具現化して自分と目が合って、どんどん近づいてくる。
とにかく「それ」から離れたくて逃げたくてしょうがない。
時には自分から踏み込んでみて「それ」を受け入れようとするけれど、深みにはまって
自分が「それ」に飲み込まれて自分を失ってしまうような感覚に襲われる。
でも、「それ」を手にしたい気持ちもあるのかもしれない。
パンドラの箱を前にした自分みたい。希望と絶望が表裏一体でそこにある。
2サビに入る前を歌っている時の声の雰囲気が違うので(一瞬女性のコーラスいれた?と思いましたが思い違いでした)
この部分の「I」は立場が逆転してるかもしれない。
アメリカ行った当初凹んだ時、それをバネにして出来上がったのが
「明日、また」だとしたら、
ひょっともすると、この「Come Closer」は彼の中に礫ほど残っている
不安や翳りや闇を音にしたのかもしれないという考えに至りました。
まぁ、基本前にしか進もうとしない人ですし、
悩んでいても悩んでいることをぐだぐだと書きたくはなさそうだし
負の感情は「くそったれ!」で一蹴していきそうなので、笑。
まぁ、こういったそのまま沈み込んでしまいそうな曲ってそんなないよなって
貴重だなっておもいました。
って感じで、曲をフルで初めて聞いて1日、そんなことを
あーでもないこーでもないと考えていましたとさ。
秋のストレイテナー祭り(自主開催)
ヤマザキパンが春にパン祭りをし、
ストレイテナーのナカヤマシンペイが定期的にエルレガーデン愛で爆発するというなら、
私は秋のストレイテナー祭りを開催したくなる。否、勝手にしている。
この時期ぐらいから冬にかけては、しっくりくる切ない曲がたくさんあります、ストレイテナーには。
なんとなく、リリース時期も秋が多い気がするのだけれど、
私がただ聴きたくてダウンロードしたり購入したりするのが秋ってだけかな。
しばらく聞いてなくても、ひとたびIpodから再生されれば気分は
すっかり失恋して夜毎ものおもいにふけってる人になる(当人既婚者です)。
でも、まぁそういうときって後で振り返ってみるとえらくきれいな思い出に
仕上がってたりしますよね。
「wish I could forget」って曲があるんですけど、この曲がむちゃくちゃいい。
木枯らし吹くさびれた公園でぼーっとしながらきくとさらに哀愁増すわ。
この曲、まぁ失恋ソングなんでしょうけど、ホリエさんの言葉選びが秀逸です。
「もしも今が明日終わるならずっと眠らないで話をしよう」
「今」が「明日」終わるって、時間を伝える言葉並べただけなのに特別な響きがするのはどうしてでしょうね。
普通だったらなんて書くんだろう、「明日二人わかれるなら」?「明日二人旅立つまで」?
そうだ、主語が人物じゃなくて時間なんだよ。そこがすでにもうロマンチックなんだよ。
そのあとには「どんな夢より素敵な夜を」「どんな苦しみも忘れる朝を」と、続きます。
こんな別れ方したら私この夜のこと絶対結婚する前夜に思い出してしまうわ。一生忘れられなくなるやろこのやろーーーーーー!
ってぐらい、私にはこの歌詞がたまらなく甘く響きます。
それに加えてホリエさんのあの優しい声よ。
あまり、個人の感情が渦巻いていないからいいんでしょうね。
あーしたかったこーしたかったこうすればよかったって熱くなるんじゃなくて
終わってしまうのを静かに見届けて静かに未練を残している感じが。
忘れられたらいいのに、なんてね。
「なにも要らないから傷つけてほしい」なんてね、ほんと、未練がましいのに
なんか素敵な言葉に聞こえてつい許したくなるじゃんね。
でもこれホリエさんだからだよね。うん、わかってる。
少し距離をおいた歌詞や叙景的な歌詞は、書いている人の思いに左右されることなく
自分自身がいろいろと思いを馳せることができるので大好きです。
あと、私は歌詞を見て自分に照らし合わせるより、書いてる人に思いを馳せるほうが好きなようです。
あんな思いをしたのだろうか、こんな思いをしたのだろうか、
どういう思いでこれを書いたのだろうか
それを考えながら曲を聴いている時が至福だったりします。
秋の夜長、今日は何を聴いてぼーっとしようかな。
(子供に阻まれる確率90%)
明日、また 解禁
もうすぐボジョレー・ヌーヴォーも解禁ですが、一足先に元お酒の名前だったバンドが新曲を解禁しましたよ。
「明日、また」
約9か月ぶりのシングル。
[Alexandros]、ユニバーサルミュージックでの2期目が始まった、というところでしょうか。
どーんどーんどーん!ととにかく今聴かせたい曲3曲、毛色の全く違う3曲を1枚に収めたというなんとも太っ腹なスタートです。
ラルクなら別々にして3枚同時シングルとかやってるよ!
しかもぜーんぶタイアップつきました。クロレッツにヨウジヤマモトにMINI。
ガム・服・車!なんでもござれ!いろんなものにうちの曲は合いますよ合わせますよと言わんばかりにね。
いやー、最近発表になったMINIのタイアップは、自分の好きな車でもあるので本当にうれしい限り。
しかもイギリスの車だよー。グランストンベリーに一歩近づいたよね、ね?
久々にドストレートなロック曲。あれですか、「ALXD」に収録されている「Can't explain」以来じゃないかな。
CMでちょこっとだけ聞けます。もう好きなかんじぷんぷんする。
でも、一番楽しみにしてるのは「come closer」ですけどねー!!!!!
あれは「Kiss the damage」的なヒリヒリした要素があって、きっと白井さんが推してくれる(はず)。そしてこんどこそMV作ってくれるんだ。あ、もう作ってあるかヨウジヤマモトのイベントの時に流していたあの映像。
いや、解禁した曲の話しましょうよ、笑
ラジオでね、解禁したんですね。前の週にはメンバーのインタビューも聞けてね。
2サビ前のドラムと、Dメロの印象的な英詞、初見で盛り上がれる曲。
RUSH BALLでふわふわ宙に漂うような気持ちで聴いたあの新曲。
どうもその浮遊感は後ろに流れている「フゥアァアー」って音がもたらしていると思うんですね。何の楽器かわからない、説明下手ですいませんが聞いたらわかるよあの「フゥアァアー」って音。
しかもさ、始まりがさ、ジャーン!っていきなり音が鳴るというよりフェードインするような感じでね。そりゃ浮遊感がでますよ。
時間帯でいうと夜明け前、なのかな。今の時期なら6時前から6時半ぐらいの間。そう、サビで日が差すんですよ。日の出を向かえるんですよ。
あした~(ピカッ!)また~!ぐらいのタイミング。
フェスで1回、ラジオで1回きいて思った感想は、「歌が今まで以上にクリアに
聞こえる」ということ。まぁ、すこしエフェクトかかってるような気もしますが、
細いけれど芯のある透き通った地声なんですよね。AメロBメロが。
あと、磯部さんのコーラスがほぼぴったりくっついてきてる。
ドロスさんの曲の主旋律は他の楽器の音と絡まって響いてくることが多いんですが
これはメロディがすーっと1本線が通っていて、その主旋律をききながら周りの演奏を眺めつつ聞き入れるような感じなんですね。
そして、今回AメロBメロには、なんと!英詞がありません!サビもね!
やったー!これならカラオケでみんな歌えるぞー!とりあえず2サビまでは。
これは、ちょっと前に「日本語の響きを大事にしたい」とかなんとかラジオでいってたのもちょっと関係しているのかな。
小説のタイトルだとか表現だとかそういうのを意識するようになってるって言ってたよね。
なんにせよ、今回のキーは「歌詞」にあり、なんでしょう。
歌詞を先行配信してるぐらいなんだから。ジャケット(通常盤)にもわちゃわちゃいれているぐらいなんだから。
まぁ、あの洋平さんのことですから、最後には「ザ・川上洋平スタイル(by磯部寛之)」になってるんだけど、
だけど、この歌詞に至るまでの経緯に今回は一時の葛藤があるわけさ。
本人が行きたいと言っていたNYでのレコーディング。
右からも左からも上からも下からも、日夜音が流れ込んでくる空間で。
日本では流れていなかった音を聴いていく日々で。
ふと、これまで自分が表現してきた音、その方法に間違いや悔いはなかったのかと疑問に思いへこむ日々が降る雨とともに自分に降りかかる。
日本でしたたかにやってきた自分たちにはない、全く違うアプローチをしかけてくる周りに、自分もそうすればよかったのかそんなやり方もあったんじゃないかと焦ったり
してたのかな。
向こうは表現の仕方がとにかく圧倒的にパワフルでオープンだろうし、表現できる場が多い分、場数踏んでるから技術的に問題なくうまいだろうし、もう圧倒されちゃうんでしょうね。
自分は日本でやった「RENT」の舞台を見た時におもった。
日本の、伏線をはってそれをひとつづつひも解いていくような巧妙な劇が好きだったけど、こんな真っ正直にまっすぐ感情ぶつけてくる舞台みたことなくてもう、歌きいただけでボロ泣きした記憶ある。今でも泣ける。
そんな風になりたい、って思ってもなんかもう遅いっていうか、それをやったところでそれは自分なんだろうか、なりたかった自分なんだろうか、やりたかった表現なんだろうか。
ぐちゃぐちゃになってしみったれてる中で、ヒロさんが言った「自分は自分でしかない」ね。
ドラマみたい。そういうドラマあるよねー。
「川上洋平」で検索すると、「彼は完璧だ!」なんて賞賛の声がたくさんあがっているけれども、
完璧だと思っている人でも憧れや理想があってそれにとどかなくてもがいてるんですよ。
「自分は自分でしかないからそれで超えるしかない」って言える彼の強さと、
その実行力に私たちは胸を打たれるんでしょう。それが、いつしかリスナーの憧れる姿になってるんですよ。
ほんとね、変わんない。hydeさんも明希ちゃんも洋平さんもみんな、あがいてる。
そういう姿が好きなのよ。去年のアルバムの感想でも私書いてるね。馬鹿みたいに同じこというよ。酔ってるから。
そういう感じのことを、Dメロの英詞で歌ってますね。
よぺ子さんが日本語訳してますね。
ここの歌い方がまたいいですよね、「あ」の発音を苦しそうに吐き出す洋平さんの声が好きですね。あのひっかかるかんじ。ハンガーになってひっかけたい(酔ってます)
2サビの歌詞も好きですね。
「愛したいなら思う存分愛せばいい」
自分を、ですよ。
「今でも疼く傷跡も、息を吸い吐く体も、生きたいと願うからこそ」
息吸ってるだけで自分大好きってぶっ飛びすぎだろう。とラジオ聴きながら
思いましたけど、もうね、自分好きなのは肯定した方が今の時代潔いと思うね。
NYで感じた諸々を受け、その空気を漂わせ、できた新曲に
あえて日本語を意識させるような歌詞とタイトルをつけたのは、
己を作り上げているもの、己にしかないものに
改めて敬意を表したかったからなのではないかと思いました。
あんまり新曲聴きこみすぎちゃうと発売するころに飽きるっていう
ケースもなきにしもあらず、なのでセーブして聴いてます。
次はどの曲が解禁かなぁ?